<社説>新潟水俣病訴訟判決 認定基準を見直し救済を


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<社説>新潟水俣病訴訟判決 認定基準を見直し救済を
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 1956年5月1日の水俣病の公式確認から68年になろうとしているのに、今なお救済を求めて長期の裁判を強いられる事態が続く。2009年施行の水俣病被害者救済特別措置法で救済されなかった未認定患者による四つの訴訟で、昨年9月の大阪地裁、今年3月の熊本地裁に続き、18日の新潟地裁でも患者と認定する判決が出た。国の認定基準が司法によって繰り返し否定されている。

 原因企業側は控訴した。認定が47人中26人にとどまり、国の責任を認めなかったため、原告側も控訴しそうだ。どの訴訟も原告は高齢化している。国と企業はただちに和解協議に入り、認定基準を見直し救済を行うべきである。
 主な争点は三つあり、判断は3地裁でばらついた。賠償請求権の20年の除斥期間について、新潟地裁判決は画期的だった。「(申請期間中に)罹患(りかん)を認識できず、あるいはその可能性を認識したとしても、差別や偏見のために請求をちゅうちょするなどしていたもので、権利行使が困難となる事情があったというべきだ」「除斥期間の適用が著しく正義・公平の理念に反する」と原告に寄り添う判断を示した。大阪地裁と熊本地裁は除斥期間の起点が異なり、大阪地裁は請求権を認めた。
 他の2点では新潟地裁は原告に厳しかった。患者認定で民間医師が作成した「共通診断書」に依拠できるかどうかについて、大阪地裁はこれを認め原告全員を認定した。新潟地裁と熊本地裁は認めず、認定を限定した。
 国の責任について原告側は、1961年に各地の同種工場の排水から水銀が検出されたことから、国が規制権限を行使すべきだったと主張したが、新潟地裁だけが認めなかった。新潟水俣病の公式確認は65年である。国が対策を取っていれば被害はもっと小さかったのではないか。
 患者認定の審査は、国の通知に従って熊本・鹿児島・新潟県と新潟市が行っている。77年の認定基準は、2004年と13年の最高裁判決が見直しを求めたのに、国は限定的な見直ししかしてこなかった。これ以上、患者を苦しめてはならない。
 国は、被害が発生した不知火海沿岸と阿賀野川流域での健康調査も実施すべきである。メチル水銀と症状の疫学的因果関係、被害の全容を解明しなければ、最終解決に至らないからだ。
 政府の調査や規制、救済への後ろ向きな姿勢は、有機フッ素化合物(PFAS)汚染や基地被害に苦しむ沖縄県民にとって全く人ごとではない。

 まず、健康被害の可能性を広く予測して調査を行い、被害を未然に防ぐこと。次に、被害が疑われたらすぐ実態を調べ、拡大を阻止すること。そして必要な補償・救済を迅速に行うことだ。差別や偏見が解決を遅らせていることも重要な教訓である。公害問題の原点に立ち戻るべきだ。