<社説>沖縄戦降伏調印79年 県民の戦世終わったのか


<社説>沖縄戦降伏調印79年 県民の戦世終わったのか
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 県民にとって真の意味で沖縄戦の終結日があるのかという疑いをぬぐい去ることができない。基地の重圧と軍隊による人権侵害に県民は約80年も苦しみ続けているからだ。

 1945年9月7日、現在の沖縄市森根で日本軍と米軍の降伏調印式があった。この日、沖縄における日米両軍の戦闘は正式に終了する。

 日本軍の組織的戦闘が終わったとされる6月23日の「慰霊の日」と並び、9月7日も沖縄戦終結日として県民に知られている。沖縄市は93年、この日を「沖縄市民平和の日」と条例で定めている。

 しかし、日米両軍が降伏調印をしたからといって県民の生命の安全が保証されたわけではなかった。各地の収容所にいた県民の多くが飢えとマラリアに苦しんでいた。米軍の土地強奪と基地建設によって収容所を出ても帰郷できない県民もいた。米兵が起こす事件・事故による人権侵害も県民を傷つけた。

 79年前の降伏調印でも沖縄に平和は訪れなかった。現在に続く沖縄の苦悩の始まりでしかない。軍隊による人権侵害が続き、生命・財産が脅かされる状態を戦世(いくさゆ)と呼ぶならば、県民の戦世は終わっていないのではないか。

 このような疑念を県民に抱かせる事態がまたしても起きた。女性を被害者とする米兵の性暴力だ。今年6月、海兵隊員の男が成人女性に性的暴行をしてけがを負わせた。県警は5日、海兵隊員を不同意性交致傷容疑で那覇地検に書類送致した。

 沖縄の女性を被害者とする米兵の性暴力は1945年4月の米軍上陸から各地で多発している。「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」が当時の新聞や琉球政府の公文書、個人の体験記録や市町村史誌から抽出した45年~46年の性犯罪事件の被害者数は124人に上る。同会は「氷山の一角」とみている。

 卑劣な行為が繰り返されているにもかかわらず、抜本的な防止策が確立できない。犯罪を犯しても厳しく処罰されずに済む。これらが米軍犯罪の特徴であり、敗戦直後から今日まで本質的には変わっていない。その元凶が日米地位協定であり、政府の無策である。

 2023年の米軍関係者による刑法犯の摘発件数は全国、県内ともに過去10年で最多を記録した。全国の摘発件数は118件、このうち県内での摘発件数は72件で全体の61%を占めた。明らかに米軍の規律は緩んでいる。米軍犯罪防止で抜本策を打ち出せない政府の責任は重い。

 今回明らかになった事件について玉城デニー知事は「非人間的で卑劣な犯罪は、女性の人権や尊厳をないがしろにする重大かつ悪質なものであり、断じて許すことができず強い憤りを禁じ得ない」と述べた。

 この怒りを政府関係者はわがことと受け止めなければならない。県民の戦世を終わらせるのは政府の責務である。