東電事件再審無罪 全面可視化こそが王道


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 1997年の東京電力女性社員殺害事件で強盗殺人罪に問われ、無期懲役の二審判決が確定したネパール人男性のゴビンダ・プラサド・マイナリさん(46)の控訴審をやり直した再審の判決で、東京高裁が無罪の結論を言い渡した。

 マイナリさんに汚名を着せ人生を狂わせた日本の検察と、不当捜査を見抜けなかった裁判所、捜査当局への取材を通じ結果的に冤罪(えんざい)事件にかかわった報道機関はそれぞれ、深く反省する必要がある。
 小川正持裁判長は、新証拠のDNA鑑定結果を基に第三者の男が犯人である疑いが強く「マイナリさんを犯人とするには合理的な疑いがある」と述べ、一審東京地裁の無罪判決を支持し、検察側の控訴を棄却。再審では検察側も無罪主張に転じ判決後に上訴権を放棄したため、無罪が即日確定した。
 東京高検は「おわび」の談話を出したものの、今なお「捜査や公判に問題はなかった」との立場を崩さず、マイナリさんに直接の謝罪はしない意向という。重大な人権侵害を犯したというのに、驚くべき無自覚、無反省ぶりだ。
 高検幹部は「科学技術の進歩で鑑定が可能になり、主張を変更した。証拠隠しもなかった」と説明するが、そんな言い訳は通用しまい。
 再審で弁護側は、検察の捜査・公判活動を第三者機関が検証すべきだと主張、逆転有罪とした二審判決は誤りだと裁判所も批判。しかし、判決は検察の捜査に触れず、マイナリさんに謝罪もしなかった。
 わずか4カ月の審理で一審の無罪を覆した再審前の二審も批判を免れない。決め手を欠く状況証拠に同調した事実認定の過ちについて、裁判所も検証を進めるべきだ。
 いずれにせよ、司法制度改革を進める検察、裁判所に自らを厳しく律する意思がなければ、国民の司法への信頼が失墜してしまう。
 各方面から指摘されている見込み捜査や「証拠隠し」への疑念に真摯(しんし)に向き合うことは、冤罪の再発防止の第一歩にすぎない。しかし、検察のこのような手法は対症療法にすぎず、冤罪事件を繰り返すだろう。つい最近もパソコン遠隔操作事件で男性4人を誤認逮捕する大失態を演じたばかりだ。
 繰り返し指摘してきたが、容疑者を威嚇、誘導する取り調べを根絶し冤罪をなくすには、全面可視化と弁護人の立ち会いは不可欠だ。検察は重い腰を上げる時だ。