<南風>発信する必要がある「脱自殺」


社会
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 私は小さい頃、小遣いをもらうことがあまりなかった。おねだりが苦手だったので勇気をふり絞って母へ「バス賃がほしい」と最低限の小遣いをねだっていた。月にいくらと決まった小遣いをもらう友人がうらやましく見えることもあった。一方でお金の使い道は、小さいながらに見極めている自分がいたので友人の母親に無駄遣いしないとよく褒められていた気がする。

 高校生になれば仕事ができ、自分でお金が稼げる。私は、高校1年生の頃、アルバイトを始めた。その仕事は家から歩いて15分くらいの場所で今はなき「総合結婚式場ソワ」だ。情熱あふれる仲間がたくさんいたのと、熱い社員がいたからこそ私は「将来この仕事をするぞ!」と、26歳くらいまでずっとウエディングに携わるあらゆる仕事をした。

 先日、ソワで働いていた同級生の仲のいい友人と久々に「パパズキッチン」さんで食事した。味も空間もすてきな店だ。

 そこで会話した一つの話が悲しく、もどかしい気持ちになった。友人の元職場の後輩が亡くなってしまったのだ。遺言書には「LGBTの問題を抱えて生きていくのが苦しい」というメッセージが含まれていたそうだ。助けられなかった悔しさと、知らないところで悩み苦しんで生きている人々がいることに改めて活動を続ける必要性を感じた。自分らしくいられない場面が多々あったのであろうか。

 ありのままの自分でいられる環境づくりを一刻も早くすべきなのだ。親、親戚、友人、地域の人、あらゆる人への周知と理解が必要不可欠だ。この記事を多くの人に読んでほしい。こうして発信できるのも、琉球新報さんのおかげだ。感謝している。私は「誰もが住みやすい社会に」を軸にLGBTやSOGIの講師、イベント、YouTubeで発信を続けようと改めて強く感じた。
(比嘉利加、フリーランス)