<南風>首相式辞


社会
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白木 敦士(琉球大大学院准教授)

 夏休み。大学教員にとっては、期末試験の採点に追われる季節でもある。法律学の論述試験で高い評価を得るためには、借り物ではない自分の言葉で表現することが欠かせない。緊張する試験場で、自身の言葉を紡ぐことは勇気がいるが、採点者の胸に響く答案を作成するためには不可欠だ、そう学生に説いてきた。

 終戦から78年。15日、東京の日本武道館で全国戦没者追悼式が執り行われた。首相式辞の内容は、前年、前々年とほぼ同じであった。凄惨(せいさん)な戦争被害を正視すれば、過ちを嘆き、平和を希求する言葉は無数に思いつくであろうに。不戦の誓いが、毎年変わらぬ「コピペ」かとむなしくなる。

 式辞の中で、違和感を覚えた部分がある。「いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。国の責務として、ご遺骨の収集を集中的に実施し、一日も早くふるさとにお迎えできるよう、引き続き、全力を尽くしてまいります」

 「帰還」とは、「大辞林」によると、「遠方の地から帰ってくること。戦地から故郷・基地に帰り着くこと」とある。また「ふるさとにお迎え」と言うが、沖縄の地上戦では膨大な数の市民が「ふるさと」沖縄の地で犠牲になった。そうであれば、式辞に言う「ご遺骨」は、遠方に出征した旧日本兵の遺骨のみを指し、地上戦の犠牲者たる沖縄市民の遺骨は除かれることになってしまわないか。

 いまだ遺骨が見つからない犠牲者も少なくない。着の身着のままで犠牲になった市民の場合、身元の特定はより困難という。現在までボランティアの方々が必死の捜索を続けている。

 とっさに紡ぎ出した言葉であれば「誤解を招いた」との説明もあり得よう。しかし数年にわたり使い回されてきた表現とあれば、弁解もかなうまい。酷暑の中、背筋が凍る思いである。

(白木敦士、琉球大大学院准教授)