<南風>ラグビー


社会
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白木 敦士(琉球大大学院准教授)

 ラグビー・ワールドカップがフランスで開催中だ。どこへ転がるか分からない楕円(だえん)球は、時に「番狂せ」を生み出す。事前の格付けに頼りきれないゲーム展開が、見る者を熱狂させる。

 我々の興奮は、1人の少年の創造力に由来する。諸説あるものの、英国ラグビー校のエリス少年が、サッカーの試合中にボールを持って走り出したことがラグビーの起源とされる。エリス少年が犯した「確信的ルール違反」の真意は不明だが、一つ確かなことがある。1人の子どもの型破りな発想力はもちろんのこと、創造的なルール違反を評価し、受容する豊かな環境があったからこそ、今日のラグビー文化が存在するという事実である。

 子どもが豊かな発想力を発揮するためには、精神的な安心と物理的な満足の双方が不可欠だ。空腹の中では、創造的な発想は生まれず、大人からの叱責(しっせき)を恐れる緊張状態においては、子どもは着想を周囲に共有することを避ける。時代や場所が変われど、異論はあるまい。

 現在、沖縄では、3・3人に1人の子どもが相対的貧困状態にあると言われる。全国平均の2倍以上という深刻な状況だ。物理的な貧困は、精神的な貧困をもたらす。それは、子どもだけの話ではない。大人の側も日々の生活に窮する状況の中では子どもの「ルール違反」を肯定的に捉える余裕など、もはや期待できまい。子どもの貧困と大人の貧困が区別できない理由はそこにある。非難されるべきは「自助」を強調し、長い間有効な施策を行えずにいる日本政府である。

 英国ラグビー校は富裕層の子どもたちのみが通えるエリート校という。エリス少年が試みた「創造的ルール違反」が評価されたのは同校ならではあったかと悲しくなる。日本の貧困政策はどこへ向かうのか。楕円球の行方でもあるまいに。

(白木敦士、琉球大大学院准教授)