コラム「南風」 太宰治のおかげで


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 恥の多い生涯を送ってきました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。(人間失格)
 とうとう今回で最終回になりました。原稿依頼を受けた時、最終回の書き出しは、決まっていました。もし、この一文を太宰が書いていなければ、僕は原稿依頼を断っていたでしょう。僕の稚拙なコラムを読んでくださっていた皆さん、ありがとうございました。

 何度も、自分の文章の下手さ加減に嫌気がさしましたが、冒頭の一文に励まされ、長嶋選手をめざす野球少年のように、太宰に憧れていた青春時代の「根拠のない自信」を奮い立たせ、必死に書きました。ちょっと、ふざけ過ぎだと、何人かの方に注意されましたが、もう恥ずかしさに負けないように、太宰流に言えば、含羞(はにかみ)です。お許し下さい。
 逆に少しは、ほめて下さる方もいて、「南風」の反響の大きさに驚きました。
 僕の文章を読んで、一人でも多くの方が、コザを好きになってくれればとの思いで書いたつもりです。コザファンでなく、「太宰」ファンがふえたって。まさか。
 最後になりましたが、コザにお越しの際は、「安くて買いよいみんなの街」銀天街をよろしくお願いします。あっ、もしかして「絶望的前衛の街」銀天街のほうが、心ひかれますか。
 今、コザでは、「いつかピカソになるかもしれない」若者たちが、さかんに、アート活動をしながら、銀天街を外部から浸食しています。それを受けて、平均年齢80歳のガンジュー看板娘たちが、元気に、商売を続けています。こんな面白い街はありませんよ。全国どこにもない街ができるかもしれません。
 「南風」の機会を下さった本紙松永部長、ありがとうございました。みなさん、お元気で。「グッド・バイ」
(仲田健(なかだたかし)、沖縄市銀天街商店街振興組合青年部長)