コラム「南風」 パソコンのメール


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 遅ればせながら、数カ月前にパソコンのメールアドレスを取得した。だいぶIT音痴なので、われながら大進歩である。

 アドレスを取得して、仕事のスピードがかなり速くなった。書類なども、添付とやらであっという間に送信できてしまう。これまでは、先方のご都合を伺いつつ時間をつくるまでに数日を要した。今や、書類や原稿を作成して送信ボタンを押せばサーラナイである。先方の都合を気にすることもなく、自分のペースで仕事ができる。こんな便利なもの、なぜ今まで使わずにいたのだろうと思う。この連載の原稿も、書いたそばから添付でポンだ。
 しかし、である。その分人と顔を合わさなくなった。約束の電話をしたり、会ったついでにお茶をしたり。そんな中で育まれてきた関係性は、私にとってかけがえのないものであったことを思い出した。
 人間恐怖症の私にとっては、あるいは都合の良い世の中になったのかもしれない。顔を合わさなくても仕事が成り立つ。ところが、なんだか無性に寂しくもある。
 車で走っていると見えない景色が、歩いてみると良く見える、という現象に似ているように思う。メールで済ます仕事は一瞬で終わるが、手書きやプリントアウトの書類は時間と手間をかけて相手の手に渡る。会ったついでに近況報告や情報交換。そこから楽しい関係が始まるのだ。
 とはいえ、便利さにハマッテいるのでしばらくはバシバシメールを送信しようと思う。さて、飽きたらどうしようか。手書きの書類に戻ろうか。便利を覚えてしまっては、もう戻れないかもしれない。
 手間がかかる仕事は、遠回りをしているようで深い関係性を築いてくれる。便利さを追い求めて、心の豊かさを失いたくないものである。
(伊良波さゆき、役者)