コラム「南風」 音楽の枝


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 「音楽」にはたくさんの枝がある。
 いろいろな活動に導かれながら、今まで勉強して来たことや、経験して来たことを基に、ジャズという分野を通して新たに得られたたくさんの思いや感情をとても貴重に思う。
 心を込めて努力すれば、必ず成し遂げられ、好きになる、ということを信じて無我夢中に思いを働かせ、知恵を絞って、日々楽しく音楽に取り組んでいる。

 「歌う」という作業の中から学ぶことは、音楽的に専門的なことから、直接、心で感じることまでさまざま。世の中に数えきれないほど存在する歌詞の世界には、いろいろなドラマの背景や情景がある。その世界を日常と照らし合わせてみたり、あるいは言葉の流れや言語の響きを楽しんだり、メロディーやリズムを声にのせて語尾をユーモラスに楽しんだり。切ない歌は息を削るように、なおかつ気分を高める。言葉と息が変化したり、進化したり、ワクワク、ゾクゾク、無我夢中にならずにいられない。
 たくさんの刺激を受けて、私の音楽への気持ちはどんどん豊かになる。また、その原動力となる、母との会話に笑顔咲く。
 私の実家の裏庭には、アセロラの木がある。食卓テーブルの上には、アセロラの実が赤々と鮮やかに、プラスチックの器にあふれる程に盛られている。酸っぱくてなかなかおいしい。
 アセロラは、毎日実を削り取っても、どんどんどんどん実がなるらしい。そろそろ食べ飽きてきたなあ、と思いながら母に聞いてみた。
 「何でそんなにたくさんの実が毎日なるの?」
 母の顔は酸っぱい顔。アセロラを食べながら「オヘッ、オヘッ」と唇を前に突き出し、両目を上に向け、笑いながら言った。
 「アセロラの木は、枝を傷つけ刺激させると、ドサッ、と咲くからさ…」
(安富祖貴子(あふそたかこ)、ジャズ歌手)