コラム「南風」 待つ


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 私は待つのが苦手だ。その代わり人を待たせてばかりいる。いつか孤独になるような気がして焦ったので、このワガママをなんとか直そうと決意した。
 手始めに寄り道を止めた。私には約束の時間までに時間があると買い物やら届け物やらと寄り道をする癖がある。そして約束に遅れる。自分が待つのは嫌なのに相手を待たせるのだ。

 また、銀行や病院などでボーっと待つのが苦手で、必ず何か読み物を探す。自宅で食事中、思い出しては家事やメールをしたり。とにかくせわしない。自分でもなぜこのような落ち着きのない性分になってしまったか甚だ不思議である。兄妹が3人いるうち、兄や妹はかなりマイペースなので彼らの分まで私が引き受けてしまったとしか思えない。
 先日、食事を終えないうちに書きかけの脚本が気になり、またパソコンを開く。ふと思う。これが生き急ぐということではなかろうか。
 60にして他界した父は晩年、非常に生き急いでいた。おかげで私は中学2年という幼さで子役から大人役へ転向することになる。その5カ月後、父は他界した。若手をたくさん育てるんだという父の尊い志は、ついに道半ばにて断念せざるを得なかった。父の無念を思うとやりきれない。
 三十路の私も、非常に焦っている。明日にでも人生が終わってしまいそうだ。ところが事態は好転しない。仕事はたまっているが、例のごとく午前0時終了を心がけ、寄り道や読み物も我慢し、じっと待っていると、優しい気持ちを持てるようになった。相手への思いやりが自然とわく。話も弾む。稽古日なら、充実した稽古ができる。心の余裕のなせるわざである。
 そのうち、イライラが少なくなった。どう生きても、人生はなんくる過ぎていく。なるべくなら、人にも自分にも優しい人生を生きたいではないか。
(伊良波(いらは)さゆき、役者)