コラム「南風」 患者の気持ち


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 以前、末期がんの方の看護をしていた時、「あなたは悪魔のような人だ」と患者さんに言われたことがあります。その方は、喉にできた腫瘍が顔の半分ほどの大きさに膨れ上がっていて、それまで私が見てきた患者さんの中でも、一番痛みと苦しみを抱えているように見える患者さんでした。痛み止めを使っても、次の時間まで待てずに、看護師が部屋を訪れるたびに薬を要求されます。

 私はそんなその方に対して「薬はまだ使えません。待ってください」と冷たく言ってしまったのです。
 その時、私がすべきことは、ただ、その方の痛みと苦しみに寄り添うことだったのに、私は、その方の痛みを自分の痛みと勘違いして、部屋を訪れるだけで息苦しさを感じ、余裕をなくしていました。
 次に部屋を訪れた時「さっきはごめんなさい」と先に謝ったのはその方でした。
 それから数年後、私の長男が入院中、けいれんの発作がとまらず、要求してもなかなか臨時の薬を使ってもらえなかった時がありました。結局、その時薬を使わなかったことで、息子は呼吸停止を起こし、呼吸器をつなぐ状態になったのです。その後、医師に対して怒りを感じていた私ですが、その怒りをストレートに表すことはありませんでした。
 気を悪くされて、同じようなことが起きることを恐れたからです。その時、悔し涙を流しながら、私を「悪魔」と呼んだその方を思い出しました。その方は、謝りたくなくても、謝らざるをえなかったのだということに、この時初めて気がつきました。
 私はこの時、自分や家族の命を病院に預ける以上、患者や家族には、非常に強い圧力が、いや応なく立ちはだかるのだということを、自分も一人の医療者として、もっと真摯(しんし)に受け止める必要があるのだと、肝に銘じました。
(福峯静香、NPO法人療育ファミリーサポートほほえみ理事)