コラム「南風」 花ぬかじまやー


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 旧暦9月7日は97歳の長寿のお祝いが県内各地で行われた。私も十年来の友人のおばあちゃんのお祝いの余興をお願いされ、糸満市大度の山城さん宅に招かれた。兄の所属する古典音楽の先生方と、私の空手、舞踊の師匠である小林先生や講演や音響のサポートをしてもらっている新里さん、また町役場で働く夢をもつ息子にも同行してもらい約2時間の演目でおばあちゃんのカジマヤーを祝った。

 戦争で一家のあるじを失い女手一つでわが子を育て上げ孫曽孫に囲まれて元気に人生最高の喜びの日を迎えた。歌三線、踊りが大好きで芸能がおばあちゃんの戦後の苦労を癒やし明日への活力になった。「声が出れば1曲は歌いたかったさー」と話すおばあちゃん。「あなた方のおかげでいいお祝いができたよ」と強く握手してくれた。
 今年は8月に88歳の米寿を迎えた宜野湾出身のおじいちゃん2人のお祝いも司会をさせていただいた。大正、昭和の激動の時代を生き抜き、波乱万丈の人生を歩んできた方々である。
 戦争という過酷な時代の中で大切な家族を、家を、財産を奪われ、貧しさと飢えに苦しみながら命懸けで戦争を生き抜き戦後の歴史を切り開いてきたのだ。
 まさに今日の沖縄の発展を築く一翼を担ってくださった。人生のどん底から這(は)い上がってきた人たちの生きる力と生きる知恵。苦境の中で育んできた深い人間愛。打ち合わせのためそれぞれの家族にお会いし、話をいろいろ伺いながら一家の源泉であるおじいちゃんのたくましさ、温かさ、志情けの深さと同時に苦楽を共に乗り越えてきたおばあちゃんの優しさを感じた。
 「わかさるうちねーこうてぃやてぃん苦労やしどぅやー」。母がよく口ずさんでいた事を思い出す。その母も90歳。7年後、オリンピックと共に花ぬかじまやー御願さびら。
(崎原真弓、バスガイド)