コラム「南風」 温めていた思い


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 「声の仕事」と、大きなくくりでいろいろな分野の仕事をさせていただいていますが、以前ここに書いたとおり、マイクに向かって喋(しゃべ)るというこの仕事の土台になっているのは、やはり小学6年生の時に担当した放送委員の活動がきっかけでしょうか。

 先日そのコラムを読んだ同級生、しかも同じ放送委員だった数人と、模合や高校の同窓会の席上で話題になり、話に花が咲いたのですが、その時の貴重な経験や体験が、成長していく私の心のなかでずーっと温められていたようで、短大を卒業後、勤めていた会社のラジオから昼食時間に流れてくるアナウンサーさんの声を聴いているうちに「こんな風に声を使って伝え、表現する仕事ができたらいいなぁ」と日々思うようになっていったのです。
 大きな夢と目標ができた21歳の私は、まずは基礎から専門的に学ばなければ! と上京することを決意。アナウンス専門学校の2年課程で基礎からみっちり学ぶのですが、仕事を辞めてまで、周囲の大きな支えと協力を得て東京に出たので、高校を卒業したばかりの地方から集まってきたキラキラ輝いている皆さんに負けないようにとまさに必死でした。
 アルバイトも生活費を稼ぐものとは別に、学校に求人が来る喋れる仕事や、テレビ局など放送業界に関連するものに積極的に応募しました。なかでも面白かったのは、当時の人気番組「なるほど!ザ・ワールド」の遊園地ロケで、ローラーコースターに乗る撮影シーンに7回も付き合わされたことや、「朝まで生テレビ」の視聴者からの電話応対役では、本番前に出演者の代理で登場シーンのカメラリハーサルに立ち会うなど、普通では経験できないさまざまなことに挑戦させてもらいました。それが後々、私の仕事に大きく役立つことになるのです。
(石底マキ ナレーター、パーソナリティー)