コラム「南風」 八戸を旅して


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 今月初旬、青森県八戸市を旅した。
 八戸は、初めて子育てしながら暮らした街。慣れない北国の生活の中での、手さぐりの子育て。たくさんの思い出がある街だ。

 5年ぶりに八戸駅のホームに降り立つと、空気はひんやりと冷たかった。東京よりも季節が半歩進んでいる感じだろうか。
 八戸の中心街を久しぶりに歩くと、住んでいたころの出来事が次々思い出される。通りは以前と変わらず、落ち着いていてのんびりした雰囲気だ。
 友人たちと再会し、お互いの子どもたちの成長を驚き合ったり、街のあれこれを聞いたり、昔話にも花が咲いた。郷愁にかられ、思い立って出掛けた私の旅心は、そんなひとときで満たされた。私はずっと気になっていたのだ。震災以降、八戸がどうなったのか。
 八戸は被災地だ。震災当日、濁流にのまれる八戸港のライブ映像から、私は目が離せなかった。
 岩手、宮城、福島に比べると被害は少なかったが、港湾施設を中心に被害を受けた。そして、被災した港湾の中ではいち早く、今年8月に八戸港の復旧宣言が出されたという。
 八戸港そばの電柱に、津波の跡を示す線があった。高さ2・7メートル。こんな高さまで…と驚くほどだ。
 友人たちも震災の時の話をしてくれた。「八戸は被災地じゃない」「港と市街地とで被災体験が違う」。意見はさまざまだ。精神的ダメージからなかなか立ち上がれない人も多いという。
 港の朝市を訪ねた。「いさばのかっちゃ」と呼ばれる女性たちが威勢よく商いをしている。この土地の人々のたくましさをあらためて感じる。特産のサバやイカなど海の幸は以前と変わらずおいしかった。それらを味わいながら、“以前と変わらない”ということのありがたさを切実に感じずにいられなかった。
(橋本理恵子、元琉球放送記者)