コラム「南風」 政治参加とは


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 『立候補』(藤岡利充監督)という映画を見た。
 いわゆる“泡沫(ほうまつ)候補”の選挙戦を追ったドキュメンタリーだ。2年前、2011年の大阪府知事選挙を舞台に“本命ではない候補者たち”をカメラは映し出す。

 奇抜な格好で街頭に立ち、音楽に合わせて踊って有権者に訴える候補者。選挙中ほとんど家にいた候補者…。
 ある候補者は、タスキをかけて街頭に立つが、ひたすら「よろしくおねがいします」と繰り返すだけ。政策など一切訴えない。その理由をこう話す。「政策を言ったら、それをやらなきゃいけない。私はウソをつきたくないんで」。耳の痛い政治家もいるのではないか?
 彼らの選挙戦は、一般的なイメージの選挙戦ではない。そして、その政策や主張も必ずしも明確でないし、共感できない部分も実は多い。
 しかし、彼らは「個」として戦っているということがよく伝わってくる。決して「泡沫」、すなわちはかない存在ではなく、むしろ強(したた)かだと感じるのだ。
 テレビ局にいたころ、選挙の投開票の日は、一日中、局全体が一種の祭りのような、高揚感に包まれていた。午前中から入る出口調査の結果、各選対からの中継、そして刻々と入る開票状況…当選確実をいち早く打てるか神経をとがらせる。そこでは、当然ながら、誰が当選するかがニュースだから、泡沫候補と呼ばれる人たちに、スポットが当てられることはなかった。
 政治に無関心であってはいけないことは言うまでもない。では、いかに参加するのか、ということに至っては、なかなか簡単ではないと思う。
 国レベルでも、県レベルでも、政治の動きが活発になる中、多くの問題提起を含んだ映画だと思う。
(橋本理恵子、元琉球放送記者)