コラム「南風」 個人の物語を語る意義


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 今回で最終の原稿です。全体を通して自叙伝風になってしまいました。私自身が歴史や伝記、自叙伝などを好んで読んでいるせいかもしれません。
 歴史という語は英語のhistoryの訳として明治初期の造語である。story(物語)はhistoryからの派生語である。社会の仕組みや戦争などの時代区分や英雄の記述だけが歴史でなく、個人の物語も歴史の一部である。

 市井の人の自分史にも目を引くのが多い。外来診療でも時間が許せば“戦争中はどうしていましたか”と診療と直接関係ないことを患者さんに聞くこともある。教訓を得るためと大仰に構えているわけではないが個々の人の話を聞くと示唆に富んでいて興味深く面白い。当事者から直接聞けることは貴重な体験である。
 人間は自分を直接見ることはできない。他者との関係を通して初めて自分自身を知り判断も可能となる。その意味でも対話、個人の物語、歴史は大切である。体験したことや個人の物語を次の世代に語り継ぐことの集合が歴史となる。歴史は未来を映す鏡とも言える。そして戦後今ほど歴史を知ることの意義が問われている時代はないと思う。
 医師は患者個人を治療し治す努力をするが世界保健機構は健康の前提条件として住居、食糧、教育など8項目を挙げているが第一は“平和”としている。健康は個人や医療だけでなく社会全体の問題に行き着く。
 最後に“良い睡眠は健康の元”と唱(とな)えつつ原稿は夜間10時から午前2時の間に書くことが多く、睡眠不足気味でした。医者の自家撞着(どうちゃく)の典型。
 本欄の原稿は医学関係の執筆とは異なり、当初戸惑いもありましたが頭の整理と、新たに勉強、否、楽しく学ぶ“楽習(がくしゅう)”の機会となりました。読者の皆さま、機会を与えていただいた新報社に感謝します。
(名嘉村博(なかむらひろし)、名嘉村クリニック院長)