コラム「南風」 古いもの新しいもの


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 年末。大掃除。いらないものを、どんどん処分できたらいいのだが、これがなかなか難しい。いつか使うかも、は御法度。必要か否か、悩まず即決するのが片付ける極意らしいが、現状はどうもうまくいかない。

 モノが増え、むやみにモノを買ってしまったことが悔やまれたりする。それが、ほとんど使いこなせていなかったりすると、後悔は倍増する。自分が持っている古いものより、店に飾られている新しい商品がよく見えて買ってしまう…そんな自分の至らなさを否定するつもりはないが、元来、日本人は“新しいもの”が好きなのだという。
 以前、何かで読んだのだが、日本人は、“新米”や“新酒”といった“新しいもの”を珍重する文化があるという。一方、ヨーロッパなどでは、古い住宅に手を入れて、何代にもわたって住み続けたり、熟成されたワインが好まれるように、“古いもの”に価値を見いだすのだと。
 整理中の切り抜きの中の一文に目が留まる。それは、筑紫哲也さんの文章。
 「改憲論が力を増している有力な根拠のひとつに、現行憲法は『時代に合わなくなっており、古い』というのがある。『古い』というのは普通は散々使ってきて、もうボロボロになった場合に用いられる表現である。(中略)憲法を着こなしもしないであたかも流行に合わせる衣裳のように扱うのは、憲法への冒涜(ぼうとく)であり、誠実さに欠ける態度」(「自我作古」週刊金曜日2004年5月28日号)。
 物事は、古い新しいだけで選別することはできないだろう。その事柄に対して、ひとつひとつ丁寧に向き合って考えることが求められているような気がする。
 ところで、沖縄は、新しいもの古いもの、どちらが尊ばれているだろう。古酒、祖先崇拝…何だかここにも本土とは違う価値観があるような…。
(橋本理恵子、元琉球放送記者)