コラム「南風」 しまくとぅば復興への思い


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 南(ぱい)ぬ島、石垣島で生まれ育ち、古里を離れてから50余年。今では、沖縄語(うちなーぐち)が話されている言語圏で生活の根を下ろしている。

 「私(ば)がー しぃまむに」(古里のことば)と言えば、八重山語(やいまむに)だが、残念ながら幼い頃からその八重山語に慣れ親しんできたというわけでもない。当時の生活語は基本的には日本語であり、社会も学校も家庭内でも日本語の使用が当然とされつつあり、そのために八重山人(やいまびぃとぅ)にはなりきれないまま青少年時代を過ごした。
 それでも、中高校で習った英文法からことばのしくみに興味をもちはじめ、大学で教わった最新言語理論を古里のことばである八重山語に当てはめてみることを一生の仕事としたいという夢をもつようになった。
 八重山語が流暢に話せないために、しまくとぅば研究の船出は決して順調ではなかった。八重山出身の宮城信勇先生との出会いを機に、短期間で八重山語の研究書を出すことができた。しかし、幼少時から生活の場で八重山語をつかう時代ではなかったことに、あきらめきれない思いが今でもある。
 その後、沖縄語を母語とする方々との出会いがあり、おかげさまで、現在は沖縄語の魅力に引き込まれて、身半分は「うちなーんちゅ」との思いで沖縄語の研究と普及にいそしんでいる。
 しまくとぅばの普及・継承の火付け役をこれまで果たしてきたつもりだが、しまくとぅばをなぜ復興しようとするのかについて、自分の考えを述べてみたい。また、これまでの研究成果として、しまくとぅばの中でも特に沖縄語に限定して、その仕組みについても、できるだけ分かりやすく解説してみたい。読者の方々に限られた紙面を通して、ことばの本質について果たしてどこまで届けられるのか、楽しみでもある。
(宮良信詳(みやら・しんしょう、琉球大学名誉教授(言語学))