コラム「南風」 私の履歴書


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 私は理科系の大学を卒業し、照明メーカーに就職。研究室に配属されたが、工場勤務を願い出た。工場で、理論と現場での違いに驚き、机上で学んだ知識は生きていく上で役立たないことを痛感し2年で退職した。

 代々の家業は呉服屋で、父に小さなころから「商人道」の話を聞かされていた。私には商人のDNAがあるはずだと思い、当時若者に人気のあった服飾メーカーのヴァンヂャケットに入社した。37歳の時、会社は倒産したが物流から仕入れ、製造まで多くのことを学んだ。その後、四つの会社に勤めたが全部倒産。存続できる会社とは何か?と考え続けた。
 53歳になり、ずっとあたためていたビジネスプランを家内に相談した。
 「いいわ、私がやるわ!」と笑顔で背中を押してくれた。1993年、鎌倉のコンビニ2階に13坪の小さなシャツ店を開いた。家内(民子社長)が生まれ育った鎌倉で開店したことから「メーカーズシャツ鎌倉」と名付けた。
 「上質のシャツを手頃な価格で販売する」をコンセプトに価格を4900円(税抜き)と設定。上質な素材、丁寧な国内縫製にこだわり、原価率は60%にも達した。そのため、商社や問屋など中間コストを徹底して削減。通常1万円以上はする品質に自信はあったが、最初はほとんど売れなかった。家内が女性雑誌(ハナコ)の編集部に手紙を出し、取り上げてもらったことがきっかけとなり、6カ月後には行列ができていた。信じられない光景であった。
 雑誌掲載をきっかけに、横浜ランドマークタワーから出店の依頼があり2店目をオープン。その後、首都圏を中心に23店舗を展開。2012年10月には創業以来の念願だったニューヨークマディソン街に海外1号店をオープンした。
(貞末良雄(さだすえよしお)、メーカーズシャツ鎌倉会長)