コラム「南風」 旅立ち


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 子どものころの私の憧れの人は、3歳年上の姉でした。スポーツ万能で勉強もできた姉は、進学校に通っていた。高校受験を迎えた私は、姉に少しでも近づきたいと思い同じ高校に挑戦、しかし勉強が得意でなかった私に届いた結果は「不合格」。
 実家は商店を営んでおり店番が私の日課だったが、その日ばかりは恥ずかしく店に出ることができなかった。私自身、恥ずかしく悔しくもあったが、両親もきっと同じような思いだったのではないかと思う。複雑な思いもあっただろうが、私に対して叱責(しっせき)することもなかったことに、2人の気遣いを強く感じた。

 島には高校も無ければ、予備校も無い。一晩中泣き明かした私は「これまで以上に頑張って勉強するので、那覇の予備校に通わせてください」と両親に懇願した。すると二つ返事で「頑張ってきなさい」と答えてくれた。その言葉に背中を押され、親元を離れての予備校生活が始まった。
 予備校に通うバスの車内から外を眺めていると、真新しい制服を身にまとった女子高生がまぶしく見え、島の同級生も今ごろ楽しい高校生活を送っているんだろうなと思った。来年は絶対に合格し同級生に肩を並べるぞと思ったが、1年出遅れているので追い越すくらいの気持ちで挑まなくてはならないと、自分自身を鼓舞した。
 翌年、年子の弟と一緒に受験の日を迎えた。合格発表までの数日が1週間にも感じられるほど待ち遠しかった。1年間の頑張りが実を結び、2人とも「合格」。両親に「合格」を伝えることができたことは、これまでのいろいろな思いが吹き飛ぶくらいうれしかった。
 高校受験は「人生初の試練」となったが、1年出遅れたことで、今後の私の人生に大きな影響を与える出会いがあることを、その時の私は知る由もなかった。
(豊見城あずさ(とみしろ・あずさ)劉衛流あずさ龍鳳館館主)