コラム「南風」 しまくとぅばと学校教育


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 地域やそれを取り巻く自然と密接につながっているのが言語である。しまくとぅばを知らない世代には初めて獲得した言語が日本語なので、その言語は沖縄の地域社会や自然と直接はつながっていないことになる。地域社会や自然と密着したしまくとぅばを聞いて祖先とのつながりに深い感動を覚え、心の底から湧き上がる感情をしまくとぅばで表現する機会が県内の若者たちから奪い取られている。

 言葉だけではない。しまくとぅばを基層とする文化や、その文化を築き上げてきた祖先の歩みを学校で教科として学ぶ機会も失っている。
 ことの始まりは、1879年の廃藩置県を機にしまくとぅばが日本語の方言としておとしめられ、国語を押し付けられたことにある。それによって、琉球古来の言語や独自の文化や歴史が学校教育から外され、そのことに130年もの間、無自覚・無感覚にされてしまっている。つまり、アイデンティティー(以後、出自と言う)に関する目隠し状態が続いている。
 その目隠し状態が言語危機を招いているように、そのうち文化や出自の危機を招くのは明らかである。それを阻止するには、まずは学校におけるしまくとぅば教育から始めるしかない。
 国語、日本史などの教科は押し付けても、しまくとぅば、琉球史、琉球文化・文学を教科として教えない学校教育には大きな問題がある。出自に関する目隠しが強要されているのは植民地的な教育と言える。これは、明治以来130余年に及ぶ県内学校教育の最大の見落としである。
 琉球の言語や文化を学校教育に教科として導入しないのは人権問題だと、2008年に国連人権委員会も日本政府に勧告している。
 軍事基地はもとより、学校教育においても出自関連の押し付けがあることを自覚し、その回復を図るために総力を結集すべきである。
(宮良信詳(みやら・しんしょう)琉球大学名誉教授(言語学)