コラム「南風」 出会い


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 私が保育園を開設したのは沖縄が復帰した1972年のことである。年子で生まれたわが子に同年齢の友達がほしい、と思ったのがきっかけだった。が、おりしも第2次ベビーブームのさなかでポストの数ほど保育所を、と叫ばれていた時代。専業主婦のわが子が保育園に入れる可能性はゼロに近かった。(保育園を造ればいい)。思いたった私は保母資格を取得し、運よく借りることができた新設団地の保育施設で無認可の保育園を立ち上げた。

 まだ25歳だった。あるのは良い保育園を造ろう、という熱い思いと夢だけだった。ふり返ると本当にたくさんの人に助けてもらった。不器用な私は、いまだにお世話になった方たちの恩義に報いることもできないでいる。が、子どもの幸福のために精いっぱい力を尽くすことが、せめてもの恩返しだと思って、ひたすら保育の仕事に励んでいる。
 もう一つ、それほど身体が丈夫でもない私が、こうして四十数年も保育の仕事を続けて来られたのには理由がある。それはひとえに偉大な保育の師との出会いのおかげである。その方の名は斎藤公子先生。埼玉県さくら・さくらんぼ保育園の創設者である。
 保育園を開設して4年目だった。念願の認可保育園として大里村(現・南城市字大里)に移転新築することになった。その時、ある保護者から「もし私が埼玉に住んでいたら、ぜひともわが子を預けたい保育園です。どうぞこのような保育園を目指して下さい」と1冊の本をプレゼントされた。
 「あすを拓く子ら」というタイトルだった。そのころの私は、その保育園が「さくらんぼ坊や」という映画になって全国に知られ、その保育実践に引かれて多くの保育者が各地から見学に訪れる保育園であることや、そこの園長が斎藤公子先生であることなどつゆほども知らなかった。
(仲原りつ子、あおぞら保育園理事長・園長)