コラム「南風」 気になる、している数字「3」


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 少しの間、自分自身を含め、身の周りを見渡したり確認してみてほしい。どうだろう、見渡してみて、常に確認しづらいものがあることに気づいただろうか?勘の良い方ならすでに気づいているかもしれない。

 一番確認しづらいのは、自分自身の顔や全体像である。つまり、鏡でもない限り、自分自身のことが一番見えてないことになる。ということもあり、少し強引かもしれないが、僕は他人からのアドバイスはなるべく参考にしたり取り入れたりするようにしている。
 「あんた◯◯に向いてるんじゃない?」「はい、やってみます」という具合だ。「最後は金目でしょ?!」的なことはあまり考えずに始める。ありがたいことに、現在、生業(なりわい)としている仕事のほとんど周りから勧められたものばかりなのである。
 しかしながら、ただ鵜呑(うの)みにしてそれらを続けるのではなく、一応、「3年間」という節目を設けるという自分なりのルールがある。理屈っぽくなるが、およそ60兆個の細胞が集まり、機能することで、自分という現象が現れている。どうやらその根本となる体の細胞のほとんどがおよそ3年で入れ替わるというのだ。細胞だけで見ると他人だ。生まれ変わっている。
 このことから、僕が何かを始めたり、習得しようとする時は、まず「3年」向き合う。向き合って体が生まれ変わる時期「3年」が来て芽が出なければ、進歩してなければ、それは自分に不向き、もしくは潮時と言ってもいいのではないかと思うことにしている。
 かつての先人たち(世界のナベアツさんも含む)も「3年」、「3」という数に、なにかしらを感覚的に感じとっていたからこそ、「石の上にも三年」「三度目の正直」「3年目の浮気」などの言葉が残っているという気がしている。
(知花悠介、ナレータータレント)