コラム「南風」 母の認知症状と介護(2)


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 前回も触れたように、介護者を悩ませ苦しめる周辺症状として、失禁等のいわゆる問題行動がある。今回も母とのささやかな介護経験を通して認知症状と介護について考えてみたい。

 母の症状がそれほど進んでない時期に、夜中、怯えたような叫び声が仏間の母の部屋から聞こえた。「どうしたの」と聞くと、仏壇のところから、沢山の虫がはい出してきているという。ほら!ほら!と仏壇や天井を怖そうに指差している。母の不安を取り除くために、部屋を明るくして仏壇を閉め、安心させて眠ってもらい、私も母の隣の部屋で休むことにした。
 母によくみられる認知症状は、「家に帰る」帰宅願望と徘徊であった。家を出る母の後を追ってみると、向かっているのは母の生家ではなく、長姉の嫁ぎ先であった。その姉も戦前に亡くなっていた。「お母さん、どうしたの」と聞くと、「姉さんの家に祝い事があって、ごちそうをつくるのを頼まれている」という。ほとんどの家の灯りも消えていたので、「今日は終わったみたいだね。明日来よう。今日はもう帰ろう」というと、素直に応じてくれた。
 母の認知症状について、2回にわたって触れたが、母のことをよく知っているという息子(介護者)のうぬぼれが、母から語る機会と言葉を奪ってしまったのではないかと恐れる。母の脳裏にある長姉のこと、足の向かない生家のことを語ってもらう必要があった。生家は戦争で消滅し、養子家族が住んでいた。母は認知症がかなり進んでから、よく、「親のヤー(家)の無い人ほど哀れな者はいない」と泣きながらつぶやいた。
 母にとって必要な介護は、介護者が先回りして母の行動・気持ちを理解する介護者中心の介護ではなく、母の歩幅で母に寄り添い、母の気持ちを共有することではなかったかと10年以上経った今は思うのである。
(神里博武、社会福祉法人豊友会理事長)