コラム「南風」 燃える保育者集団


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 埼玉から帰ってきた私は早速職員を二人、斎藤先生の保育園に派遣した。研修初日の夜、職員から電話が入った。雑木林に囲まれたその保育園がいかに自然豊かであるか、広い園庭ではだしで遊ぶ子どもたちがいかにたくましく伸び伸びとしているか、堰(せき)を切ったように報告する。彼女たちの弾んだ声を聞きながら、自分と同じように、いやそれ以上に二人が感動している、そのことが何よりもうれしかった。

 それから少しずつ、私の園は変わり始めた。職員が主体的に斎藤先生の著書の輪読会を始め、講演会にも率先して参加するようになった。みんなが学ぶ喜びを知り、燃えていた。
 園長の私もやることが増えた。「幼いころの感覚は子どもの脳にすり込まれてしまうので、幼ければ幼いほど見るもの聞くもの触れるものは最高のものを」との理念の下、まずは保育環境の見直しから始めた。
 最初に園舎の隣に五百坪の土地を借り、泥んこ滑りのできる大きな築山とガジマルの木陰を作った。次にリズム遊びができる広いホールを確保するため改築工事を行い、床を弾力性があり素足に心地よい檜(ひのき)材に張り替えた。視線を遮る柵を取り払い、室内に涼しい南風が吹き渡るようにした。そして食器を良質の磁器に変え、化学調味料や白砂糖の使用をやめた。煮干しと鰹(かつお)節でだしを取り、季節の野菜や郷土料理を取り入れ、戸外の新鮮な空気の下で食べるようにした。木製椅子やプールの購入…。
 乏しい予算をやりくりして環境を改善していくのには何年もかかった。それ以前に認可保育園を建てる時に借りた1千万円の返済と、園舎敷地や園庭の借地料はどこからの補助もなく、その捻出も全て園長の肩にかかっていた。が、人間の土台を作る大切な乳幼児期。目指す保育をするために、心は熱く燃えていた。
(仲原りつ子、あおぞら保育園理事長・園長)