コラム「南風」 回想の旅―文化観光と高校時代


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 沖縄厚生年金休暇センターを継承しユインチホテル南城としてリニューアルオ―プンした際の式典に、戦後沖縄芸能界のリーダーの一人である伊良波尹吉のお孫さんをお招きしました。

 ホテル敷地内に1946年から2年半の間沖縄民政府があったことはあまり知られていません。その政府立の三つの劇団のうち南部の慰問を担当した「梅劇団」団長が伊良波尹吉だったご縁を大事にしたかったからです。その後を受け継ぐ「劇団伊良波」が恒例になった9月のユインチホテル敬老会にて公演します。
 69年から3年間、琉球政府立コザ高校で学びましたが政治の激動に翻弄(ほんろう)された高校時代だったように思いだされます。72年の沖縄の施政権返還をめぐるさまざまな動き、米軍基地からの毒ガス移送、ゼネスト、戦後初の国政選挙がありました。70年12月20日、反米コザ騒動の報道をするラジオのアナウンサーの声が震えていたことは鮮明に覚えています。学校内でも毎週のように討論集会が開かれました。沖縄はどうなるのだろう、自分たちは日本人なのかと揺れていました。今も詩人として活躍されている勝連繁雄先生の授業中に私が質問責めにして授業を混乱させたことがありました。
 ある日、1年後輩の文芸部の女子生徒が教室に訪ねてきました。文芸誌に何か書いてほしいと頼まれました。小柄な清楚な女性でぼそぼそとした感じで話していました。「リズムがありますね」とほめてくれた彼女は作家になりました。いつか泡盛を飲み交わしたいねと勝連先生と話したことがありますがまだ叶(かな)いません。文化交流を中心にした観光を増やしたいと考え中国の深〓の音楽専門学校と南城市や沖縄市の小中学校生との音楽交流ツアーを実施したこともありました。民間の交流が平和への土台になればと観光に関わる者として願ってやみません。
(宮里好一、タピックグループ代表)

※注:〓はツチヘンに「川」