コラム「南風」 日野原先生と中村康雄さんのこと


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 2008年は私にとってめまぐるしくも忘れがたき年でした。その4月、沖縄市松本にある国が設置したカルチャーセンター・ペアーレ沖縄を継承しました。中国語の講師をしていた楊さんから「中国に行きませんか」と誘われました。11月末に国際医療産業学会と中国医師会健康学会が北京で同時に開かれ中国医師会から認知症の講演の依頼があるとのことでした。

北京に到着するや中国医師会の白副会長などによる歓迎の昼食会が用意されていました。終わったばかりの北京オリンピックの会場近くの大きなホテルを借り切って学会が開催されました。
 開会式では当時96歳の日野原重明先生が異例の代表挨拶に立ちました。「高齢でなお活躍するドクター日野原に敬意を表して」と一理事である先生を議長が紹介したのです。5分間立ちっぱなしで話された日野原先生のさっそうとした姿と中国医師会の粋な計らいに感動しました。翌日私の講演では、初めてみるいろんなタイプの認知症の紹介に中国の医師たちは衝撃を受けたようで、たくさんの質問を受けました。依頼され老人ホームを視察致しましたが人口が日本の10倍もある中国に老人ホームが日本の10分の1しかないことや60歳以上の人口がすでに1億人を超えたとの説明に驚きました。中国に対して高齢社会先進国としての経験を提供することによって関連するビジネスの分野でも沖縄に大きなチャンスが来ることを確信しました。
 この年12月に、沖縄厚生年金休暇センターを継承することが決まりました。南城市玉城前川の親戚、中村康雄さん(故人)は、終戦前に前川の防空壕で起きた集団死のことを10年程前に初めて私へ教えてくれた方です。最後の公務は旧・玉城村文化財保護委員長でしたが、ユインチホテル南城をアジアの平和と文化の交流拠点にしてほしいと励ましてくれました。
(宮里好一、タピックグループ代表)