コラム「南風」 5歳児保育パート2


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 5歳の1年間、子どもたちは木登りや土山滑り、水や虫や草花など自然からの刺激をいっぱい浴びて存分に遊びきる。畑を耕しヤギを飼い、雑巾を縫って床を拭く。運動神経の発達を促すリズム遊びを毎日続け、何事も粘り強く繰り返せば上達することを知り、逆上がりや跳び箱など難しい事にもひるまず挑む逞(たくま)しさと、仲間が課題をクリアした時には心から喜び、自分もあのようになりたいと憧れ、もっと伸びたいと努力する子に育つ。

家に帰ると「今日は『ドリトル先生』の話が面白かった」とその日の出来事を目を輝かせて話す。よほど保育園が楽しいんですね、と親も驚く程だった。そして迎えた卒園式。どの子も見事に花開き、「伸び伸び育った1年間、幼児期は一貫した保育を」と新聞でも大きく紹介された。
 翌年の5歳児希望者は15人に増えた。が、5歳の枠を広げると他の年齢の子が入れなくなる。そんなジレンマの中で自主運営は続き4年目を迎えた。ある日、県の担当官が実態調査に来るという。急きょ5歳児の親たちが仕事を休んで園に駆けつけた。そして5歳児保育がいかに大切かを訴えた。その迫力に担当官は圧倒されながらも、きちんと耳を傾けてくれた。
 それから暫(しばら)くして県から電話が来た。「あなたの保育園はホールが広いので増築しないでもあと15人定員増ができ、5歳児全員が入れます」という。まるで夢かと思った。自主運営は言わば横紙破りである。それをこのような斬新な方法で解決してくれた…。子どもたちを守ってくれた担当官と親たちに、ただただ感謝しかなかった。
 あれから30年。当時の卒園生が今は親となって園に通ってくる。5歳児保育のそのような経緯を、今はもう誰も知る人はいない。が、昔、一致団結して道を拓(ひら)いた親たちがいたことを、私は決して忘れない。
(仲原りつ子、あおぞら保育園理事長・園長)