コラム「南風」 新島正子先生のこと


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 短大卒業と同時に、私は新島料理学院に就職した。社会人一年生の私にとって見るもの聞くものすべてが新鮮だった。食材の発注、デモンストレーション料理の準備、先輩講師の助手、慣れないタイプライターを使ってのレシピ作り…。

 一人前の教師になるためにはなんでも勉強だ。何よりも給料をいただきながら料理の奥義が学べる。こんなありがたい職場はなかった。半年に一度は基地の中にあるライカム将校クラブでテーブルマナーの講習会が開かれた。新島院長の講義を聞きながらフルコースを堪能する。それほど豊かでなかった昭和40年代、盛装した女性たちが集うこの会は実に華やかだった。
 年末には新報ホールで正月料理の講習会が開かれ、多くの人が詰めかけた。料理の鉄人やグルメ番組もない時代、新しい調理法や美しく盛りつけられた料理は毎回好評だった。
 新島先生は職員をとても大事にしてくれた。美味(おい)しいと評判の店に連れていってくれたり、学院節目の記念日には退職した職員も欠かさず招待してくれる。旧職員たちもキャベツの会という会を作って、新島先生を囲む茶話会を催し、設立当初の思い出話に花を咲かせる。そこでは早くから沖縄の食文化の保存・研究に心を傾けた新島先生が、あわや幻の料理となりかけた「五段の御取持(おとぅいもち)」を旧家の方を集めて記録再現した話や、誰が作っても成功するサーターアンダギーのレシピ作りで試作を繰り返した話など、珠玉のエピソードを聞くことができる。
 新島先生は常々「仕事はずっと続けた方がいい」と仰(おっしゃ)っていた。その言葉通り60歳で沖縄調理師専門学校を開校した。その先見性、行動力、そして幾つになっても分からないことはすぐに調べる向上心…。
 青春時代の2年間、傑出した沖縄女性の下で働けたことを幸せに思う。
(仲原りつ子、あおぞら保育園理事長・園長)