コラム「南風」 天体臆測


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 あと2カ月とちょっとで終わるのでなんだが、今年は“天体ショー”の当たり年だとか。確かに、「◯◯座流星群が肉眼で確認できますよ」的なことをよく耳にした気がする。おかげさまで当方も夏ごろに幾つかの流星、いわゆる流れ星をまとめて見ることができた。

 実は、夜空を見上げること自体が好きなので、年に数回流れ星を見る機会に恵まれるのだが、その都度、流れ星の刹那すぎる煌(きら)めきに感嘆する。と同時に思うことがある。それは、―流れ星を見つけ、その流れ星が消える前に願い事を3回繰り返し言えたら、願いが叶(かな)うというが、これは本当かもしれないな―、ということ。
 いつ現れるか分からない流れ星のタイミングを逃さず、ためらわず、すかさず欲望を早口に言ってのける執念と技術、見事である。これができるという時点で“願いが叶う”とかのレベルでなく、“願いを叶える”胆力の持ち主かもしれないなと。
 こうした他愛(たあい)のないことを考えることもあるが、星座を見る時はまた違った心持ちで眺めている。星座の名前は神話にリンクしている。この神話と星座の関係がまた素晴らしい。神話自体は先人たちが後世へのメッセージ(よりよく生きていくための)を込めた物語だ。物語にすれば、忘れにくいし伝わりやすい(誰もが桃太郎の物語を大体ソラで言える感じ)。それを季節と連動させるために発明されたのが“星座”だと言われている。
 人の営みからすれば普遍に近い存在である星々に、神話になぞらえた星座名をつけ、それを指針に生活(農業など)するよう促した。つまり、先人たちの思いやりの気持ちは、星座から放たれる光として時を超え、確実にわれわれのもとに届いているということになる。そう考えると、星座の光が温かく優しく見えてくる。
(知花悠介、ナレーター タレント)