コラム「南風」 なぜ経営者になったか(1)


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 会社を経営するようになってよく聞かれることがあります。「社長は長男ですか?」。私は三人兄妹の次男で兄、妹がいます。幼少の時から、夏休みや冬休みには父の経営していた沖縄そばの製麺工場で製造の手伝いをさせられて育ちました。朝早く起きて工場に行き、麺を揉(も)み、茹(ゆ)で、棒でまぜ、できた商品をかごに並べます。次から次へと商品ができるので休めません。ゆっくりしたくても次の人に商品を渡さないと作業が滞ってしまい、生産に影響がでます。次の人にスムーズに渡すためには一息つくこともできず、子どもにはとても大変な仕事でした。

 仕事が終わるといつも鏡で確認することがありました。鼻の穴です。小麦粉で真っ白になるのです。長く工場にいるほど白くなるので、兄と見せ合いっこをして「今日は頑張った」とか「今日はあまり仕事してないな」とか、鼻の穴の白さで頑張り度を測っていました。兄とは「将来は絶対父の会社では働かないぞ」と言い合っていた気もします。小さいころから団地住まいのカギっ子で、帰っても自宅には母や父の姿はなく、いつも兄と2人。年の一つしか違わない兄とは毎日けんかばかりしていました。そんなわけで、小さいころから将来は「サラリーマン」になることに憧れていました。サラリーマンの意味はよく分かっていなかったのですが、要するに、一軒家に住んで、両親が夕方には帰ってきて、家族全員で夕食を食べて団らんする。それが普通の家庭だと思い、憧れでもありました。毎日のように会社経営で父と母がけんかばかりするのを見て、とても大変だと感じていたので、経営者だけにはなりたくないと思っていました。22歳の時に父ががんで亡くなりそれからが大変でしたが、なんとか今までやってこられたのは、周りの方々の支えがあったからとあらためて思います。
(佐久間健治、三倉食品代表取締役社長)