<未来に伝える沖縄戦>「集団自決」で姉亡くす 宮城恒彦さん(78)上


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 1945年3月23日、米軍は沖縄本島上陸を前に慶良間諸島に空襲を始めました。座間味島で暮らしていた当時11歳の宮城恒彦さん(78)は、米軍からの激しい艦砲射撃から逃れるため、家族と一緒に命からがら逃げ込んだ壕で、集団自決(強制集団死)に巻き込まれ、姉を亡くしました。宮城さんの話を、那覇国際高2年の町田彩音さん(18)と金城ひかるさん(17)が聞きました。

 戦前の座間味島は、カツオ漁で豊かだった。村から多くの人が兵隊に行ったけど、まさか座間味が戦場になるなんて誰も知らなかった。のどかな小さな村だったんです。

 《1944年9月、そんな平和な座間味島に突如、約千人の日本兵がやってきました》

 日本軍が来たと聞いた時びっくりした。沖縄本島ならいざ知らず、なんで座間味に来るのかなと思った。大人たちは嫌がるというよりは「兵隊さん、兵隊さん」と言って協力したよ。みんな日本が勝つと思っているから応援するわけ。
 学校の校舎は日本兵にとられた。あんな小さな島で日本兵が泊まるところなんてないから、役場とか会館とかはみんなとられてね。それでも足りないから、各家庭に7~10人の日本兵が分宿した。一番座は日本兵にとられた。大変だったよ。

※続きは3月24、25日付紙面をご覧ください。