<未来に伝える沖縄戦>食料なく餓死待つだけ 平良森雄さん(77)下


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 《1945年、沖縄に上陸した米軍は本島を南北に分断して進軍を始めました。次第に近づいてくる米軍から逃れるため、平良さんは山奥で避難生活を始めます》

 1945年(昭和20年)ごろになると、どんどん戦争が激しくなっていった。大宜味の村落も機銃掃射や爆弾で被害を受けていた。

 その年の3月には父が防衛隊に取られた。大宜味国民学校から、くわ一つを持って出兵する姿は今でも忘れられない。4月になるとアメリカ軍が沖縄に上陸してきたと聞いた。当初はあまり実感が湧かなかったが、アメリカの戦車が名護まで来ている、大宜味村の塩屋まで来ているという話がどんどん入ってきて、山の奥深くで避難生活をすることになった。
 当時は今のように道路が整備されていなくて、密林の中を懸命に歩いたよ。夜になると米軍の艦砲射撃が頭の上を飛んで、あちらこちらで爆発した。弾が当たっていたらと考えると、今でも恐ろしくなる。

※続きは4月29日付紙面をご覧ください。