<未来に伝える沖縄戦>家族分断、日常奪う 上江洲清さん(73)下


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戦火を逃れるために引き揚げた沖縄で、再び戦渦に巻き込まれた体験を振り返る上江洲清さん=1日、沖縄市仲宗根町の琉球新報中部支社

 《思いがけない神戸滞在から数日後、上江洲さんらは蒸気機関車で中国、九州地方を縦断し、鹿児島から船に乗り換えて那覇港に到着しました》

 航海中は日本の船が米軍にどんどんやられ、多くが炎上した。その間を縫うように、船は進んで何とか那覇港にたどり着いた。僕が「おっかあ、生きて帰れたね」と言うと、母は泣き出した。無事に帰れてほっとしたんだろうね。それから具志川村(現うるま市)喜屋武の父の実家に住んだんだ。

 ある日、家の隣の具志川国民学校に兵隊がどんどん来るようになって、戦争に備え始めていた。僕は母に言ったんだ。「どうして日本兵が来るの。敵兵が来て爆撃されるよ」。ポナペ島を出るとき、母は「沖縄は大丈夫」と言っていたのだから。

※続きは5月13日付紙面をご覧ください。