<未来に伝える沖縄戦>「子ども殺せ」と日本兵 大城春子さん(84)下


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
「戦争は絶対にしてはいけない」と涙ながらに語る大城春子さん=10日、那覇市泉崎の琉球新報泉崎ビル

 《兄の死で悲しみに暮れる大城春子さんと家族たちですが、足を止める間もなく逃げ続けます。大城さんたちがたどり着いたのは沖縄戦の組織的戦闘最後の地、摩文仁村(現糸満市摩文仁)でした》

 摩文仁では山に隠れたんだけど、日本兵が一緒にいたこともあった。妹が何度も「水がほしい」と泣いたので、日本兵は「子どもが泣いたら見つかるから殺せ」と言った。母は「生きている人間を殺せる訳がない」と言い返した。
 でも水はない。だから、母はススキの葉にたまった滴を指ですくってなめさせた。それを見かねたのか、一人の日本兵が妹に水を飲ませてくれた。この人は「アメリカ兵はたぶん民間人は殺さない。捕まった方がいい」と言い、「自分は死ぬ身だからこれをあげる」となぜかせっけん箱をくれた。私らがそこから離れた後、手りゅう弾の音が聞こえた。自決したのかねえ。
 それからカヤの生い茂った場所に隠れていたけど、下の方からコトコトと音を立てて戦車が来た。すぐに米兵に見つかって銃を突き付けられた。言葉は分からなかったけど「出てきなさい」と身ぶりで伝えてきた。私たちはそこで捕まった。6月21日だった。
 その時に気が付いたんだけど、弟は右手をけがしていて傷口からうじがわいていた。人間にうじがわくなんてと驚いた。泣きそうな顔で「誰かクワで手を切って」と言っていた。だけど、米軍に連れて行かれた富里當山(旧玉城村)の病院で治療してもらえた。

※続きは7月15日付紙面をご覧ください。