<未来に伝える沖縄戦>父と負傷兵が重なり涙 仲里ハルさん(86)上


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仲里ハルさん(右端)が体験した沖縄戦の話に耳を傾ける伊良波中学校1年の(左から)宮里憂奈さんと、高良百絵さん=10月31日、那覇市松尾の仲里さん宅

 那覇市松尾に住む仲里ハルさん(86)は沖縄積徳高等女学校の生徒で組織された「積徳学徒隊」の一員として沖縄戦を体験しました。最初に配属された豊見城村(当時)の第24師団第二野戦病院では負傷兵の看護をしました。1945年5月下旬、米軍の侵攻により豊見城から真壁村(現・糸満市)糸洲の自然洞窟に移動します。そこでは米軍の黄リン弾攻撃に苦しみました。6月下旬に学徒隊に解散命令が出されると、学徒らは壕を出て戦場を逃げ回りました。仲里さんの戦争体験を豊見城市立伊良波中学校1年の高良百絵さん(12)と宮里憂奈さん(13)が聞きました。

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 《沖縄に米軍の上陸が迫る45年2月下旬、積徳高女の4年生60人余りが日本軍の要請で東風平国民学校で看護教育を受けることになりました。そこで女子学徒たちは軍隊式の厳しい教育を受けました》

 私たちは東風平国民学校に行き、看護教育を受けた。本当に厳しかった。午前中は看護教育、午後からテスト。成績が少しでも悪くなると呼び出されるので5日間ぐらい不眠不休で一睡もせずに勉強した。看護教育は1カ月の予定だったけど艦砲射撃が激しくなったので19日間で切り上げて野戦病院へ私たちは入隊した。

※続きは11月10日付紙面をご覧ください。