<未来に伝える沖縄戦>声届かず一人だけ保護 内間善孝さん(76)下


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「戦争の恐ろしさは自分で考えて生きていく必要がある」と語る内間善孝さん=14日、沖縄市立中央公民館

 《高嶺村国吉(現糸満市)で艦砲射撃を受けた内間さん一家は、行く手に米軍の戦車が上がってくるのを見て、最初に避難した同村大里へ引き返します》

 私たちは村屋(むらやー)(公民館)近くの壕に入った。数日入っていると、黄リン弾が投げ入れられた。

 とても臭くて、せき込んで。毒ガスが入れられたんじゃないかと思った。あまりに苦しいもんだから、地元の人たちが出て、私もその人たちの後を追って出てしまった。お母さんに「行くよ」と声を掛けたが、聞こえなかったみたい。私一人で出てしまい、家族は出てこなかった。

 《家族と別れ、米軍に保護された内間さんは、玉城村百名(現南城市)の孤児院に入りました》

※続きは11月25日付紙面をご覧ください。