<未来に伝える沖縄戦>「貴様らの首1銭5厘」 比嘉千代子さん(79)上


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比嘉千代子さん(左)の戦争体験の話に耳を傾ける嘉味元拓斗君(中央)と田村美優さん=11月23日、那覇市壺屋の自宅

 沖縄戦当時、小学校4年生だった比嘉千代子さん(79)はある日、避難していた壕を軍の命令で追い出されたため、弾が飛び交う中、避難場所を求めて本島南部を転々としました。比嘉さんの戦争体験を、那覇市立神原中学校3年の田村美優さん(15)と嘉味元拓斗君(15)が聞きました。

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 私は豊見城市の長堂という集落の出身です。そこには、大きな防空壕があって、一つの山を貫通して横穴や、お産室まであるそれは立派な壕だった。戦争のため、私たち家族は普段はその壕で生活をしていた。
 しかし、昭和19(1944)年秋ごろから、集落の人たちは宮崎などに疎開を始めた。私もおじさんの子どもたちと一緒に疎開するつもりだった。しかし、お父さんは「宮崎に行ったからって生き延びるわけではない。アメリカと日本が戦争するのに、宮崎に行ったから助かるわけではない、自分の子どもは自分で守る」と反対したんだ。
 春のある日、友軍の兵隊が来て、「この壕は兵隊が入るから、民間人は今日と明日の間に出て行きなさい」と言われた。自分たちの壕でも、軍の命令だから出なければいけないからね。誰かが文句を言ったら「貴様らの首は1銭5厘だ」と吐き捨てるように言われた。

※続きは12月8日付紙面をご覧ください。