<未来に伝える沖縄戦>戦場へ行くのが華だと 中田秀雄さん(84)上


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鉄血勤皇隊として戦場に駆り出された中田秀雄さん(左)の戦争体験に耳を傾ける越来中1年の大湾日菜美さん(中央)と照屋桜さん=12月11日、沖縄市美里の中田さんの自宅

 沖縄戦当時、17歳で沖縄師範学校の予科2年だった中田(旧姓・古我知)秀雄さん(84)は、旧日本軍第32軍司令部の命令で鉄血勤皇隊に入れられ、首里城地下の司令部壕の壕掘りをしました。米軍が上陸し、攻撃が激しくなると日本軍の命令で南部に撤退し、避難先を求めて戦場をさまよいました。中田さんの戦争体験を沖縄市立越来中学校の照屋桜さん(12)と大湾日菜美さん(12)が聞きました。

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 本部町伊豆味出身で、教員になるために昭和18(1943)年、首里市(現在の那覇市)にあった沖縄師範学校に入学した。そのころから学校は兵隊の養成所のようで、やりを持って敵を突く練習や、はって移動するほふく訓練をした。列をつくって大勢で移動する行軍もよくやった。遠くは名護町(現名護市)まで歩いて行ったよ。
 幼いころから軍国主義の教育を受けて、精神が完全にまひしていたから訓練は苦しくなかった。日本は神の国だから戦争に絶対負けない、神風が吹くと思っていた。戦場へ行くのが華だと思っていたからね。早く戦場に行って下士官になりたかったんだから。友人が本土で特攻隊に入り、私も入りたかったが、長男だったから親が許さなかった。

※続きは12月22日付紙面をご覧ください。