<未来に伝える沖縄戦>避難翌日に米軍上陸 東恩納徳信さん(75)上


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「人間がすることじゃないような状態を経験してきた」という東恩納徳信さん(左)の戦争体験を聞く佐久田泰生君(中央)と宮城杏梨さん=18日、浦添市の浦添中学校

 浦添市経塚の東恩納徳信さんは国民学校(小学校)1、2年のときに戦争を体験しました。家族で北部へ逃げましたが、1日違えば北谷村(当時)に米軍が上陸して、北上することができない九死に一生を得ました。避難した国頭村辺野喜での生活は食べ物もなく、ネズミやゴキブリまで食べて生をつなぎました。東恩納さんの戦争体験を浦添中学校の佐久田泰生君(15)と宮城杏梨さん(15)が聞きました。

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 戦争は、いつ自分が死ぬか分からない。平和の時にはありえないようなことが起こる。お母さんが亡くなって、おっぱいを飲む子が生きている。その逆もある。ちょっと話を聞いても考えられないでしょ。
 爆弾が落とされて、家族の人が死んだときに、涙を流さない。「あいえなー。自分の家族が亡くなったなぁ-」というぐらいでね、震えるようなこともない。戦争だからそうなるんだ。普段だったら、家族が亡くなったら大変なはずだよ。
 太平洋戦争が始まるときには嘉手納にいた。5人きょうだいの2番目で、兄と3人の妹がいた。1944年の4月6日に屋良国民学校に入学した。学校の近くで屋良飛行場(中飛行場)を造るため日本軍や沖縄の若い青年や多くの人々が働いていた。

※続きは1月26日付紙面をご覧ください。