<未来に伝える沖縄戦>修了式の朝、空襲に遭う 平田照子さん(75)上


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旧美里国民学校1年生のころに米軍機の空襲に遭ったことなどを説明する平田照子さん(右)と、真剣に平田さんの体験を書き留める又吉美寿々さん(中央)、吉元琢人君=1月25日、沖縄市知花

 沖縄市知花に住む平田照子さん(75)は、7歳(旧美里国民学校1年生)のころに沖縄戦を体験し、空襲に遭いました。同市立美里中学校の又吉未寿々さん(14)、吉元琢人君(13)が話を聞きました。

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 私が住んでいた旧美里村(現在の沖縄市)知花の集落は、180世帯くらいの家族が住んでいました。ほとんどが農家で周囲には緑も多く、おおらかな人々が多かったのを覚えています。
 国民学校に入ったのは1944年。当時はもう戦争が始まっていたので、防空訓練ではけがをしないように目、耳、鼻などを指で押さえる練習や、字ごとに各班の上級生たちを先頭に、小川沿いを通って家まで歩く訓練もありました。
 10月10日には、那覇で空襲があり、多くの人々がここまで逃げてきました。母は当時婦人会長をしていたので、おにぎりを配ったりサトウキビを刈って子どもたちに分けたりしたようです。

※続きは2月9日付紙面をご覧ください。