<未来に伝える沖縄戦>失われた青春時代 安里清次郎さん(77)上


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少年期に過ごした崇元寺公園で「10・10空襲」などを語る安里清次郎さん(左)の話に耳を傾ける那覇高校3年の(右から)安次嶺一輝さん、呉屋伸哉さん=10日、那覇市

 那覇市安里出身の安里清次郎さん(77)は、沖縄戦で家族全員を亡くし、戦争孤児になりました。戦後は気持ちを奮い立たせて生きてきました。安里さんの戦時中の体験を、県立那覇高校3年の呉屋伸哉さん(17)と安次嶺一輝さん(17)が聞きました。

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 私の父は蒲と清一という名前があった。父は、小禄村出身で辻町で働く女性と結婚した後、離婚した。その後、夫が戦死した母の静江と再婚した。兄の清吉は母の連れ子で、両親からは姉の静子と私、妹の茂子と敏子が生まれた。1944年、市安里に住んでいた。

 《安里さん家族は1944年の「10・10空襲」の後、親類を頼って、繁多川を経由して那覇市識名に避難しました》

 私の戦争体験は10・10空襲から始まった。安里は比較的被害が少なくてね。空襲の後、今の那覇中学校の場所に米軍機が墜落し、米兵が死んでいた。警察や憲兵隊に命令され、皆で死体に石を投げていた。私も母と一緒に石を投げ、棒で突いたのを覚えている。皇民化教育で鬼畜米英と教わっていたからね。

※続きは4月14日付紙面をご覧ください