息子ら語る名優「真喜志康忠」とは 60年ぶり「落城」上演へ 6月に国立劇場おきなわ


息子ら語る名優「真喜志康忠」とは 60年ぶり「落城」上演へ 6月に国立劇場おきなわ 真喜志康忠さんの思い出を語る次男勉さん=那覇市の県立博物館・美術館
この記事を書いた人 Avatar photo 伊佐 尚記

 沖縄芝居の名優・真喜志康忠さんの13回忌と生誕100年を記念するイベント「スクリーンで蘇(よみがえ)る名優 眞喜志康忠」がこのほど、那覇市の県立博物館・美術館で開催された。生前の舞台映像を上映し、康忠さんの息子勉さんや芝居関係者らが康忠さんの芸や人となりについて語り合った。

 康忠さんは1923年生まれ、那覇市泊出身。戦前は劇団「珊瑚(さんご)座」などで修業を積んだ。徴兵され、シベリア抑留を経て48年に帰国。「ときわ座」を結成し、戦後を代表する役者の一人として活躍した。2011年に死去した。

 イベントは、生誕100年記念公演実行委員会が康忠さんの命日である昨年12月16日に開催した。第1部のフォーラムでは勉さんと舞踊家の玉城千枝さん、空手家の外間哲弘さんが登壇した。

上映された「こわれた南蛮がめ」で地頭代を演じる真喜志康忠さん(沖縄テレビ提供)

 勉さんは名優で脚本、演出も手がけた康忠さんを「沖縄演劇界の黒沢明と三船敏郎を足したような役者」と表現した。ときわ座では、康忠さんが芝居で追求した「リアル」と、劇団員を呼び出して駄目出しする「出頭」という二つの言葉が飛び交っていたという。例として「康忠には『その他大勢』という概念がない」と語り、脇役にも生き生きとした演技を求めたことを紹介した。チャンバラの場面では刀と刀を当てさせて火花が飛んでいたという。真剣でバナナの木を切ることで人を斬るような感覚を身に付けさせていたことも明かした。

 息子から見た人間康忠についても語り、「全く家庭を顧みない人だった。だが息子4人全員、しかられたことはなく一度もプレッシャーを感じたことはない」と振り返った。晩年、留守電に「真喜志勉君のお宅でしょうか。私真喜志、真喜志康忠であります。いかがお過ごしでしょうか…勉、たまには顔見せに来いよ」というメッセージを残し、「かわいいおやじ」の一面もあったと明かした。

 千枝さんは、沖縄芝居役者と現代劇の演出家らが新たな沖縄芝居を目指した「沖縄芝居実験劇場」の舞台で康忠さんと共演した。「稽古前に台本を全部覚えて稽古中は全く見ない。当時60~70代だが、ものすごいバイタリティーで芝居に熱中していた」と振り返った。東京公演では「いかに高い水準でやまとんちゅに見せるかという気概を持っていた」と語った。

 第2部では喜劇「こわれた南蛮がめ」の映像を上映した。ときわ座で活動していた役者の吉田妙子さん、玉城政子さんらも康忠さんの思い出を語った。

 吉田さんは「康忠先生は役者を育てるのが上手。ときわ座の女優は、みんな主役を経験して上手だった」と語った。「若者たちにも康忠さんの心と芸を受け継いでもらいたい」と期待した。

 (伊佐尚記)


60年ぶり「落城」 6月、国立劇場おきなわ

 真喜志康忠さんの生誕100年記念公演が6月8日、浦添市の国立劇場おきなわで開かれる。康忠さんが率いた「ときわ座」が1958年に第3回琉球新報演劇コンクールで初演し、最高演技賞を受賞した作品「落城」(一名真壁樽)を60余年ぶりに上演する予定。

 「落城」は脚本は残っているが、映像は残されていない。今回は沖縄芝居実験劇場が中心となって復活上演する。

 実行委は康忠さんとゆかりのある文化、経済界関係者らが立ち上げた。沖縄物産企業連合の宮城弘岩会長が実行委員長を務める。

 入場料は一般5千円、高校生以下2千円。問い合わせは事務局、電話080(4395)4007(兼次)、080(1722)6538(与那覇)、メールnasaki78@gmail.com