貴重で多様な資料群 19世紀中心 修復で生まれ変わる 金城聡子<天理図書館所蔵 琉球古文書の意義>


貴重で多様な資料群 19世紀中心 修復で生まれ変わる 金城聡子<天理図書館所蔵 琉球古文書の意義> 天理図書館所蔵「琉球古文書」の「青貝玉之硯屏」仕様書(天理図書館提供)
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 奈良県の天理大学付属天理図書館に保管されている琉球王国の行政文書を中心とする資料群「琉球古文書」が修復され、4月に同館で一般公開された。中でも琉球王国官製の漆器に関する資料は貴重で、今後、首里城復元など幅広い場での活用が期待されている。修復実現に携わった浦添市美術館学芸員の金城聡子さんに、琉球古文書の重要性や今後の展望について寄稿してもらった。

 今年1月、執筆を担当した本紙の「女性たち発 うちなー語らな」に「琉球王国の謎、新たな研究が幕開け」の見出しがつき、天理図書館所蔵「琉球古文書」の修復が進み研究が幕開けすると書いた。私はこの古文書群を世に出すべく働いた一人だが、去る4月6日に当銘千絵記者が報道したとおり、特別公開「琉球古文書―修理事業完了記念」(4月16日~20日)が開催された。

 この修復事業には公益財団法人朝日文化財団の助成金が活用され、その報告を兼ねた展覧会だった。私は最終日に観覧したが、天理図書館の安藤正治館長をはじめ三濱靖和副館長、担当者の三村勤司書、澤井廣次司書の4人の案内で修復や展示のことを伺った。図書館側は観覧者が絶えないことやNHK奈良放送局や同沖縄放送局、朝日新聞社はじめ沖縄の新聞両紙など多数のメディアが注目し、予想以上の反響の大きさに驚いていた。

天理図書館所蔵の琉球古文書漆器図に類する18世紀の琉球漆芸「朱漆竹虎連珠沈金螺鈿座屏」(浦添市美術館提供)
天理図書館所蔵の琉球古文書漆器図に類する18世紀の琉球漆芸「朱漆竹虎連珠沈金螺鈿座屏」(浦添市美術館提供)

写しを入手も

 修復された古文書は350点、19世紀の資料を中核に一部18世紀の資料を含む近世琉球関係資料群で、一紙文書約280点と冊子文書約70点である。王府貝摺奉行所(かいずりぶぎょうしょ)の漆器関係は後者で、他に比べて状態が悪かった。今回の修復で見違えり、生まれ変わった。

 まず、ここに至る経緯を記しておきたい。琉球古文書は1961年に、天理図書館の館員が大阪の古書店から購入した。75年発行の『天理図書館四十年史』には、目録に古琉球古文書とある。実は82年にこの写しを那覇市が入手している。83年那覇市史編集室発行「那覇市史だより 第22・23・24号合併号」には、当時室長だった澤岻寛義氏が「昭和五七年度は兼ねて根まわし済みの天理大学図書館蔵『近世琉球古文書』と琉球官話等若干の古文献、一七〇〇枚余のマイクロ複写、紙焼きコピーを入手できたのは幸運であった」と述べている。

 当時、那覇市は念願の複写を手に入れたはずだったのだが、資料は手つかずになり眠っていた。2000年頃、琉球古文書に含まれている貝摺奉行所関係の写しについて、貝摺奉行所製の琉球漆器を研究していた歴史家の安里進氏と私はこれを読む機会を得た。時を経て2017年、この資料を世に出すべく働くことにしたのである。那覇市の協力のもと、写しの全容を確認したのだが予想を上回る量で、改めてその重要性を認識した。

原本よみがえる

 次にこの写しの原本が天理図書館に存在するのかどうかを確かめるため、天理教沖縄教会を訪ね京都の協力者を得た。お陰さまで天理大学付属天理図書館に原本を探していただけたのである。天理図書館は150万冊の蔵書を誇り、建物は国の登録有形文化財である。厚く重い扉ではあったが原本が見つかり、19年12月、私は同図書館でその所在を確認した。白木の箱1箱に全ての文書が保管されていた。ただ、状態は悪く、天理図書館は修理後に公開するという方針を立てた。琉球古文書の修復事業は同館からすると優先すべき順位を超えた取組である。民間の助成金獲得に挑戦され、元那覇市史編集室職員だった歴史家の田名真之氏が協力してくださった。自己負担分の修理費は絶妙なタイミングで寄付者が2人現れたそうだ。

 今回の展示は完成品の一部と所蔵の琉球関係史料を展示していた。痛々しい姿から一変して美しく蘇った。やはり原本には凄味(すごみ)があり、残った文字や図の筆線、墨書の濃淡に往時の人々の息遣い、時代の気を感じた。また、マイクロフィルム写しでは分からなかった朱書きも鮮明で、正確な情報を読み取れる。修復を終え、複数資料にまたがる錯簡(さっかん)の復元にも着手できるようになった。

「琉球古文書展」を鑑賞する浦添市美術館学芸員の金城聡子さんと天理図書館の安藤正治館長=4月20日、奈良県

京大資料と比較

 このように現存する古文書群の一つに、沖縄県と那覇市が翻刻した京都大学所蔵の「琉球資料」がある。琉球資料と琉球古文書は、いずれも近代に本土の市場に現れ、その関係も研究対象となる。琉球資料には1827年、29年、70年の「大和へ御進物道具図并入目料帳」3冊があり、大和(薩摩)へおさめる漆器45件115点の図や材料・人件費の詳細な製作仕様がある。

 一方で、琉球古文書の貝摺奉行所関係は四つに分類でき、100年ほど古く1733年の「雍正(ようせい)11年」と思われる文書も含まれている。55件165点の漆器の情報があり、この中に「玉之御硯屏」がある。色ガラスのビーズで編んだ表面は鳳凰、裏面は漢詩を表す。枠など土台は漆器で、緻密な沈金や螺鈿(らでん)できらびやかに飾る。浦添市美術館にはこれに類する唯一の漆器がある。青森の津軽藩津軽家伝来品で、こちらは竹虎と漢詩の組み合わせである。恐らく、技術的には琉球漆器の最高峰で、18世紀基準となる逸品である。当館では2026年2月に開館35周年記念展として、こうした古文書とこれに対応する琉球漆器を集めた「貝摺奉行所展」(仮称)開催を企画中である。

 私の専門とする琉球漆芸の話題は尽きない。天理図書館は全公開に向けて環境整備を行っている。そこで問題は、我が沖縄側で、この貴重で多様な資料群に誰がどのように向き合うのかが課題である。京都大学所蔵の琉球資料と同様に、ぜひとも沖縄県で翻刻出版し、誰もが利用できるものにしていただきたい。一流の歴史家が育つ事業でもあると思う。


 きんじょう・さとこ 1967年、名護市出身。浦添市美術館学芸員、琉球漆芸研究者。「With Artうらそえを考える会」代表。