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【寄稿】雑誌通し研究者育成 南島古代歌謡 分類究める<外間守善生誕100年 学問の軌跡と展望>上


【寄稿】雑誌通し研究者育成 南島古代歌謡 分類究める<外間守善生誕100年 学問の軌跡と展望>上 「沖縄文化」復刊第一号
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 左の二種の写真は、沖縄学の大家として活躍される外間守善先生の、研究の出発原点ともいえる雑誌である。

 一つは東京の沖縄文化協会発行の『沖縄文化』復刊第一号。昭和36年外間先生の手によって復刊、発行された。伊波普猷、そして仲原善忠と「おもろさうし」研究は東京で継承されて来たが、仲原善忠の急逝(昭和39年)後は、外間先生が引き継ぐことで、民間の研究が大学・大学院に移されて組織化されたため、多くの後進の育成も行われるようになった。当時沖縄の大学には大学院がなかったため、沖縄から向学心に燃えた若者が東京の大学院で研究生活に入ったが、その方たちの協力もあって刊行が続けられた。第69号(昭和62年)からは発行所を沖縄に移し、波照間永吉氏が発行の任に当たり今日まで継続している(最新号は第126号)。

 長年の『沖縄文化』誌の継続により、多くの有能な研究者が育ってきたことで、その成果を賞するために、募金活動により懸賞資金を集め、基金を設けて、昭和54年からこれまで45回139人もの若手研究者に「沖縄文化協会賞」を贈っている。

 もう一つの写真は、岩波書店の『文学』だが、1968年から89年までのおよそ20年間に4度も「沖縄文学の特集」号が編まれた。5年間に一冊の勘定になる。文学研究者にとっては、岩波の『文学』に掲載できることは、名誉に感じられていたこともあって、この企画によって南島(奄美・沖縄・先島の総称)の文学は、日本文学研究者に大いに注目されることになった。

 自宅でゼミ

 私が法政大学の外間ゼミに入ったのは、沖縄復帰の前年(71年)であった。ゼミでは「おもろさうし」を講読することになっていたが、この時はまだ『おもろさうし』は書物になっていなかったので、大学院生であった比嘉実さんが、仲原善忠『おもろ新釈』をガリ版刷りにして大学院で使用していたものを分けてもらってテキストにしていた。

 新年度が始まり、テキストも備わり、順調にゼミは開始されたが、しばらくして外間先生は胆石で入院。退院されても出校はできそうもないということで、ゼミは先生の荻窪のご自宅で行うことになった。体調がなかなか回復されず、その状態はしばらく続いた。教授のご自宅を毎週訪ねて勉強するというのも、学生にとってはなんだか特権にあずかっているような気持になっていたが、それは病人の先生のお気持ちをまったく解していなかったわけであった。奥様には大変ご迷惑であったであろう。

 72年の岩波『文学』は「南島歌謡の系譜」と題され、先生の南島歌謡の本格的な文学論が掲載された。南島の歌謡文学の全体像がよく見通せるようになった。ちょうど復帰の年であったが、まだご体調の整わない中、主に病床でまとめられたものである。メヌエル症候群と先生は私たちに説明されていたが、めまいがあって思うように動けないとのお話しであった。それから十年近くは沖縄調査もなさらず、東京での研究生活であった。

 この時期に、『日本庶民生活史料集成 第19巻 南島古謡』(1971)、岩波思想体系本『おもろさうし』(1972)、『宮古島の神歌』(1972)、『南島歌謡大成』(1978―80。全5巻)などの刊行を続けてなさり、学会では大いに沖縄文学(歌謡)が注目されたが、本土の古代文学研究者に沖縄歌謡・古典文学へアプローチする方々はほとんどいなかった。一方、外間先生は『南島歌謡大成』の編集作業を契機に、南島歌謡の研究をさらに深められて、そのジャンル論と文学史をまとめ上げられた。

岩波書店「文学」

 市民権

 『南島歌謡大成』に集成された歌謡は5000首にも及ぶであろうか。琉歌や各地、各種の島唄も網羅されている。短歌形式のうたから長編の口承伝承古謡まで、呪祷(じゅとう)的歌謡、叙事的歌謡、抒情的歌謡に分類して、呪祷―叙事―抒情の順に文学的発展を見ている。歌謡数が膨大で、地域的広がりも大きいことから、ジャンル区分も文学史の流れも大きな目で見ての区分けが効果的で、その分安定性も高く、その後に異論もほとんどない状況であった。

 外間先生は、この研究の成果を得て、相当に自信を持たれたことと察している。私の耳に強く残っているのは、これで沖縄文学は日本文学の市民権を得ただろうか、と語っていらしたことばである(この後もこのことばは何度かお聞きした)。

 沖縄文学(歌謡)研究により明らかにされた「南島古代歌謡」の存在は、日本文学で上代以前にあったものの欠損している文学作品(すなわち叙事歌謡)を補うものであったはずである。その点は日本古代文学研究者が認め、認識していたのだが、その成果を利用して日本文学の場に置きなおして、考察し、論文発表をすることで、一般化・普遍化されるようになる。と先生は期待されていたのであろうと私は思っている。

 しかし、それはなかなか難しい話であった。研究者にとって都合の良い点をつまみ食いして、考察・研究もそこそこに、イメージの積み上げによって論文を書いて発表するようなことは実際にあったが、決して沖縄文学研究者からは支持されなかった。沖縄での文学研究の対象は、口承伝承の世界である。現に生きている人々によって維持、再生産、伝承されていて、地域、島々によって歌い継がれてきたものである。その世界、背景、くらし、社会は、村々によって異なっているということを当然認識して、ひとつひとつ丁寧に記録し、文字化して、島の人々に確認を取りながら了承を得て発表するという手続きが必要である。

 それを無視するようなことがあれば、研究者は島から追い出されてしまう。その手続きをすべて省いて、エッセンスだけ抽出して、論文発表をするならば、それは単なる個人の業績の積み上げというほかない。

 その点で外来の研究者が南島文学(歌謡)研究へ参加する場合は慎重にならざるをえないであろう。外間先生が望むような研究状況が実現されるまで、まだ多くの時間が必要であろう。

 竹内 重雄

 竹内重雄(たけうち・しげお) 1949年長野県生まれ。法政大学・大学院の外間ゼミで指導を受ける。東京都立高校国語科教員、法政大学・大学院非常勤講師(退職)。専門は日本古代文学と琉球古代文学の比較研究。

※注:祷は示ヘンに「壽」


 あす記念シンポ なはーと

 「外間守善生誕100年企画ー外間守善先生が遺してくれたものー記念シンポジウム『沖縄学』と平和思想」が25日午後6時半から(開場6時)、那覇市文化芸術劇場なはーとで開かれる。プログラムは波照間永吉名桜大学大学院国際文化研究科教授が「『オモロ研究』から沖縄学の展開―外間守善先生の研究を中心に―」と題して基調講演する。続いて波照間教授、ジャーナリストの諸見里道浩氏、真踊流佳瑞の会会主の瑞慶山和子氏、那覇市文化協会会長の崎山律子氏が登壇しシンポジウムを行う。入場は無料だが要予約。那覇文化芸術劇場なはーと、電話098(861)7810(休館日除く)10時から19時。那覇市文化協会、電話098(861)1990(平日のみ)10時から18時。