ディスコ「ジュリアナ東京」があったビルの近くに立つタワーマンション=21日、東京・芝浦
バブルのあだ花といわれたディスコ「ジュリアナ東京」。女性たちが狂喜乱舞した東京湾岸地区・港区芝浦のビルは終宴後に様変わりし、現在はITなどの新興企業が集積する拠点としての顔を持つ。倉庫街だった一帯は、日本経済の「失われた30年」がうそのようにタワーマンションが林立した。
日経平均株価が史上最高値を更新した。だがその過程で産業の新陳代謝が進む都市部と人口減が続く地方との格差が鮮明になった。庶民にとっては恩恵を受けている実感が乏しいのも実情だ。
低金利マネー
「いかに目立つか、それにためらいがなかった」。ジュリアナの総合プロデューサーだった折口雅博氏は述懐する。名物のお立ち台では、女性たちが羽根が付いた扇子を振り乱して踊った。だが開業した1991年は既にバブルが崩壊し株価も急落。94年に閉店した。
ジュリアナがあったビルは築50年。大規模改修で一部が共有オフィスとなり、起業直後の経営者が集う。規模を拡大し巣立った企業も多い。
ウオーターフロント開発の代名詞となった近隣のタワーマンションは中古でも1億円超の物件がざらにあるが、共働きで高収入の子育て世帯に加え、投資用物件としても人気だ。
開発の源泉となったのは日銀の大規模な金融緩和。低金利のマネーが流れ込んだ。
1部屋数十万円も
バブル期に「東京都湯沢町」とも称された新潟県湯沢町。東京のベッドタウンのようにリゾートマンションが次々と造られた。人口8千人弱の町には現在、約60棟計1万5千戸が並ぶ。
町職員だった男性は「異常な熱狂だった」と振り返る。地元の不動産会社などによると、現在はワンルームタイプ1部屋で数十万円の販売価格も珍しくない。毎月の管理費が重荷となり、投げ売りをいとわない所有者も多いという。
お金が回っている
会社のため猛烈に働き、取引先とはしご酒をしてタクシーチケットで深夜帰宅する―。バブル絶頂期は流しのタクシーに乗れないのが常で、数万円かけ郊外まで乗る羽振りの良い客も多かった。
今や「企業戦士」は姿を消した。交際費は減り、社員にタクシーチケットを持たせる企業は少なくなった。デジタル化が進んで客はスマートフォンのアプリで迎車を頼むことが増え、運転手は近距離でも嫌な顔ひとつしない。
東京都個人タクシー協同組合の大野芳嗣さんが「とにかく世の中、お金が回っていることを実感した」と語る三十数年前とは経済の様相が大きく異なっている。