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語り継ぐ、残すってなんだ 安里拓也(さびら平和学習講師)<未来へいっぽにほ>


語り継ぐ、残すってなんだ 安里拓也(さびら平和学習講師)<未来へいっぽにほ> 安里 拓也
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 対馬丸平和学習交流事業の研修当日、平良啓子さんの訃報を知った。毎月のように語り部の訃報を告げるニュースが流れる。遺族や体験者が残してくれた記憶をどんなカタチで誰が残していくのか。今を生きる私たちは問われている。
 戦後78年がたち「沖縄戦の継承」は過渡期を迎えているが、そもそも沖縄戦の証言を残すことは決して簡単ではなかった。それがよく分かるのが、対馬丸事件である。

 対馬丸事件は生存者に対して、証言の数が少ない。その背景にはいくつかのハードルが考えられる。まず、肉親や友人を亡くした過去と向き合う必要があること。自分だけ生き残ってしまったという罪悪感を抱えてしまう人も少なくなかった。

 また、事件について話すことを禁じた「箝口令(かんこうれい)」が存在したことにより、話したくても話せない状況があった。それでも証言を残したのは過去と向き合い、同じ経験をしてほしくないという強い思いがあったからだ。
 2018年から続いている沖縄県の対馬丸平和学習交流事業は、対馬丸事件の生存者、犠牲者が流れ着いた奄美大島宇検村で、沖縄県の親子や奄美大島の子どもたちなどが一緒に学ぶ。今年は「継承」をテーマに、約70人の参加者が住む場所や世代の垣根を越えて、継承することの意義や方法を、対馬丸事件を通して考えた。

 「戦争を二度と繰り返してはならない」という体験者の思いと、沖縄戦の教訓を残していくことこそが継承ではないだろうか。残ったのではなく、残されてきた沖縄戦。今こそ「沖縄戦の継承」を世代を超えてみんなで考える時だ。