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【対談】写真家・石川真生×真喜屋力監督 「首里劇場」舞台に生まれた“化学反応” 映画「劇場が終わるとき」 沖縄


【対談】写真家・石川真生×真喜屋力監督 「首里劇場」舞台に生まれた“化学反応” 映画「劇場が終わるとき」 沖縄 映画「劇場が終わるとき」をPRする(右から)石川真生さん、真喜屋力監督=11日、豊見城市内(ジャン松元撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 嘉手苅 友也

 2023年に解体された首里劇場の様子を撮影した写真家、石川真生を主演にしたドキュメンタリー映画「劇場が終わるとき」が、9月21日から桜坂劇場で公開される。首里劇場に染みついた歴史を石川の視点からとらえた。劇場を通じて、写真に命を懸ける石川と首里劇場の存続に奔走した故金城政則館長の「生きざま」が重なっていく。監督の真喜屋力と石川に、見どころを聞いた。

 (聞き手・嘉手苅友也)


<映画のきっかけ>感動した空気感残す 真喜屋

 ―2人の出会いは。

 真喜屋 20代の頃、市井の人たちから写真を集めて「大琉球写真帖(ちょう)」という写真集を真生さんを中心に作った。それに感動して今の8ミリの活動(収集と公開)につながっている。

 ―映画のきっかけは。

 真喜屋 「首里劇場調査団」の一員として調査していた。調査は客観的な記録を積み上げていくものだから、自分が初めて首里劇場に来て感動した時の空気感とか、主観的なものを残したいと思った。映画にするのは大変だろうから、真生さんに写真を撮りませんかと話をしたら、「おまえも撮れ」って言われて。一晩考えて、真生さんに主演をお願いすることにした。真生さんは人間として面白くて、ずっと撮りたかった存在でもある。真生さんも首里劇場も、いろんな人が撮り始めていたから、新しい切り口を探っていた。

 石川 私はなぜか(報道や映画などで)よく撮られるんだよ。首里劇場は行ったことがなくて、一度は行ってみたいと思っていた。館長には生きてる間に会いたかった。結構好みだわけよ。


真喜屋力監督=11日、豊見城市内(ジャン松元撮影)

<撮影を通して>本当に絵になる場所 石川

 ―映画の切り口は。

 真喜屋 こういう映画を撮る時って、館長や首里劇場を知ってる人を呼んでインタビューをするが、真生さんも初めて来るし、出演者もみんなそう。ただ、みんなどっかで劇場っていうものとは関わっている人たち。真生さんも、喜劇役者の仲田幸子さんと一緒に劇場を回っている。そういう人たちが首里劇場に集まって一気にシンクロしていくっていうか、その微妙な距離感が面白い。(首里劇場の存続に奔走した)故金城政則館長を知ってる人たちだけで作品を構成すると、(首里劇場を題材にした他の作品と同じように)館長に寄りすぎちゃう。だから、館長については、おい(金城裕太)のインタビューだけであえてまとめた。

 ―思い描いた撮影になったか。

 真喜屋 真生さんに主観的なことをやってくれたら成り立つと思っていた。首里劇場がロケの場として映り込んでいれば、記録ではない形で残る。真生さんは人を撮る写真家だから、人のいない劇場をどう撮るかっていうのは気になっていた。試行錯誤をしながら人のいない場所を撮り、最終的に牧瀬茜さん(踊り子・ストリッパー)を呼んで撮ったっていうのも、すごくよく分かる。実際、僕も劇場だけで長編映画を撮れって言われたら絶対できなかった。

 石川 茜さんは絵になったからよ。彼女にロマンポルノのポスターを持ってもらったら絵になったさ。あの劇場は本当に絵になる。いい場所だよ。

石川真生=11日、豊見城市内(ジャン松元撮影)

 ―撮影方法のこだわりは。

 真喜屋 本当に劇場を訪れ、歩いているような感じを伝えたかった。観客が見終わった後、この角を曲がると階段があって映写室がある、映写室の前には廊下があって窓から光が入っていた―とか。そういうイメージができるように撮影をした。(首里劇場を舞台にしたように)建物そのものをドキュメンタリーの対象にすると、(撮影した映像を編集して)カットして絵になるとこだけ使うってやりがちになるけれど、それでは劇場の構造をイメージできない。だから、移動する真生さんを機動性のあるiPhoneで追っかけ、照明もできるだけ自然光を使った。

 真生さんの普段見られないところ、特に撮影風景をがっちり撮っているので、ぜひファンに見ていただきたい。


<“化学反応”起きたか>最後にいいの残せる 石川

 ―首里劇場と石川はどのような化学反応を起こしたか。

 真喜屋 「生きざま」みたいなのを撮りたかった。亡くなった館長と、(ステージ4のがんとヘルニアを患いながら)いま必死に作品を作り続ける真生さんの姿が僕の中ではすごく重なった。死ぬまで好きなことをやる、その情熱に憧れる。その情熱は映画に映り込んでいる。真生さんは孫や子どもよりも写真がいいとか、館長は映画館にずっと閉じこもっていて。ほめられたものか分からないけれど、引かれるものがすごいあった。それを決めてやっているってことが、誰にも止められないっていうか。

映画のワンシーンで映る石川真生(提供)

 石川 だって孫は私のものじゃないし。だから、私には写真しかないんだよ。自分の気に入った人をどのぐらい写せるか。これが私にとっての、この世での勝負だわけさ。撮ってる最中のものが完成してからしか、絶対にあの世に逝かない。けれど、私の人生の最後の頃にいいの(映画)が撮られて、よかったと思う。だって残るじゃん。残るってことはいいことだよ。

 ―全国のミニシアターなどで同作の公開を進めるため、9月6日までクラウドファンディングを実施している。

 石川 私は長いこと貧乏していた。展示会に来る人にカンパしてくださいって言いまくっていたら、千円でも何円でも必ず入れる人がいた。(少額でも)それがたまってくるわけよ。銀行口座を見て数えるとき、どんなにうれしいから。私は古い通帳も絶対捨てないわけよ。(振り込みの)名前と金額が印刷されているわけ。だからずっと置いている。私の宝。

 真喜屋 インディペンデントでやってると本当に感謝だよね。いい作品を作ってお返しするしかない。これからの上映も含めて気合が入ります。


 いしかわ・まお 1953年生まれ、大宜味村出身。70年代から沖縄を拠点に写真家として活動。県内外や海外で積極的に作品を展示し、高い評価を受ける。今年は個展「石川真生 私に何ができるか」で芸術選奨文部科学大臣賞と土門拳賞を受賞。著書に「仲田幸子一行物語」など。

 まきや・つとむ 1966年生まれ、那覇市出身。92年に映画「パイナップルツアーズ」で日本映画監督協会新人賞を受賞。沖縄を拠点に映像を発信する。2005年に桜坂劇場の設立に携わる。現在は沖縄アーカイブ研究所代表として8ミリ映画の収集、上映にも取り組む。


わびさびを感じさせる首里劇場の外観(提供)

<用語>首里劇場

 1950年に開館。沖縄芝居の公演、一般映画の上映など「娯楽の殿堂」として親しまれた。70年代以降は成人映画を上映。故金城政則館長が2002年から継ぎ、22年4月に急逝して閉館。その当時まで県内で現存する最古の映画館で、最後の木造劇場だった。

 クラウドファンディングで集まった資金は、ポストプロダクションや公開に向けた諸費用に充てる。特製ポストカード、全国共通劇場鑑賞券、エンドロールの名前掲載などのリターンがある。詳細はhttps://motion-gallery.net/projects/gekijougaowarutokiから確認できる。