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苦しい生活の中、支えた両親へ恩返しの一歩 オリックス1位指名の宮城大弥

オリックスから1位指名を受け、母の礼子さんと握手する興南の宮城大弥さん(左)。右は父の享さん=17日午後5時40分、那覇市古島の興南高校

 プロ野球の新人選手選択会議(ドラフト会議)があった17日午後、指名された3選手の家族や共に汗を流した仲間たちは、運命の会議の行方をテレビ特番などで見守った。選手の名前が呼ばれると、どよめきや「おめでとう」「自慢の息子だ」などの歓声が上がり、涙を浮かべる関係者らが歓喜に沸いた。新たな“沖縄の星”候補たちの誕生に、感動の輪が広がった。

 「ごめんな、いつか恩返しするから」。オリックスから1位指名を受けた興南高校の宮城大弥投手が、遠征のたびに母・礼子さん(51)に口にしてきた言葉だ。興南高の野球部寮で父・享さん(51)や礼子さん、3年間を共に過ごした仲間と指名の瞬間を迎えた大弥さんは、約束を現実のものにするための輝ける第一歩を踏み出した。

 4歳から野球を始めた大弥さん。小学校の時に初めて手にしたグローブは700円のビニール製だった。享さんは硬いグローブに四苦八苦する息子のために取った自らの行動を「柔らかくしようと電子レンジで温めたら溶けてしまった。大弥が泣いていた表情が忘れられない」と申し訳なさそうに振り返った。

 享さんは学生時代の事故で左肘から下に後遺症がある。「日常生活も苦しくてだいぶ苦労させた」と目を潤ませる。大弥さんは小学校4年生まで練習着がなく試合用のユニホームを練習でも使った。「みんなにばかにされながらも一生懸命だった」と思い起こす。

 名前が呼ばれた瞬間、享さんは「すごいな」と小さくつぶやき、目に涙をためた。大弥さんを支えてくれた部員らに祝福されるとハイタッチをし、「ありがとう」と満面の笑みで応えた。

 家族4人、6畳一間に住んでいた時期もあった。引っ越し費用を遠征費用に充てたこともある。

 出費のたびに「ごめんな、(将来)恩返しするからな」と大弥さんは言い続けた。これまでの思い出が頭をよぎり、涙が止まらない礼子さん。大弥さんが手を差し出すとぎゅっと握り返した。

 「小さい時から頑張っているのを見てきたので…」と言葉に詰まりながら、「大弥が投げる姿が楽しみです」と早くも息子がプロ野球で活躍する姿を思い浮かべた。










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