〝冷遇〟も議会独自開拓 有力議員と関係構築課題 玉城県政の外交 〈玉城県政の外交・米議会訪問後の展望〉中


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 県知事の訪米は、西銘順治氏が1972年に訪米して以降、今回の玉城デニー知事の訪米を含めると歴代6知事が21回訪米したことになる。歴代の知事は米政府や連邦議会の関係者らに沖縄の現状を訴え、基地問題の解決を目指してきたが、応対者を誰にするかに日米両政府の思惑が垣間見える。

 米政府との面談の窓口になるのがワシントンの日本大使館。日米両政府が調整し、県知事が訪米した際の面談者を決めるが、日本政府にとってくみしやすいと見られていた知事が厚遇を受ける傾向にある。

 判断の試金石になるのが米軍普天間飛行場移設問題への姿勢だ。日米にとって長く足かせになっている移設問題を前に進めたい日本政府は、歴代の知事の政治姿勢や言動を観察した上で米側にどの階級で対応すべきか米側と調整してきた。

 県内移設を巡って政府と対立した大田昌秀氏を破って知事に就いた稲嶺恵一氏は、2001年の初訪米で当時のパウエル国務長官と面談。辺野古埋め立ての承認を控えた仲井真弘多氏は、政治任用で国務長官に次ぐポストにいたキャンベル国務次官補が対応した。

 一方、辺野古移設阻止を強く打ち出した翁長雄志氏からは一気に格下げとなり、課長級の日本部長が対応。玉城知事は昨年11月の1回目の訪問では国務次官補に次ぐナッパー次官補代理が面談に応じたが、今回は課長級のシーガー日本部長代行との面談にとどまった。

 日米外交筋は「前回は就任したばかりの訪米で、配慮があった」と説明。今回の訪米について「辺野古移設問題で対立しており、そこまで配慮する必要はないとの判断があったのは確かだ」と突き放した。

 こうした“冷遇”を打開するために県が力を入れたのが連邦議員との面談だ。「とにかく数をこなす」との共通認識の下、県ワシントン事務所を中心に、在沖海兵隊の分散配備の再調査を国防総省に求める条項を国防権限法案に盛り込んだ上院の軍事委員会メンバーや、法案をとりまとめるキーマンになりそうな下院議員らに面談を申し入れた。

 その結果、法案のとりまとめ作業に参加している4人の両院協議会のメンバーを始め、10人の議員と2人の議員補佐官、2人の下院軍事委員会付補佐官との面談が実現した。軟弱地盤や活断層などの問題を示した上で、辺野古移設の見直しを訴えることができた。

 知事が国防権限法案を巡って議員と面談したのは、11年の仲井真知事に続き2回目となるが、面談できた数だけで見ると今回の訪米の方が圧倒的に多く、県幹部は「沖縄の声が議会できちんと認識される可能性がある」と期待する。

 一方、県のこうした動きに対し、米政府関係者は「移設計画の見直しは何度も持ち上がってきたが、結局現行計画に戻る。これまで検討され尽くしてきた問題だ」と静観。辺野古移設以外は認めない考えだ。

 独自外交にかじを切った玉城県政が日米両政府の厚い壁に風穴を開けるには、米政府に影響力を行使できる議員とのパイプを構築し、日本政府以上に関係を密にしていくことが今後の課題となりそうだ。
 (松堂秀樹)